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Stanford MBA 心の旅路

Stanford大学でのMBA(Stanford GSB)留学に奮闘する、外資系経営コンサルティング・ファーム勤務の若者の心の日記blog。 コンサルティングの仕事、MBA受験からスタンフォードGSB合格、スタンフォードMBA生活、帰国にいたるまで。

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San Franciscoアメリカに住んでいると、「Politically Correct」という概念から離れては生活ができない。日本にはない非常に面白い概念だ。簡単に言うと、公の場で、
していい発言(politically correct)」と、してはいけない発言(politically incorrect)」が、皆の常識としてなんとなく共有化されている。

これまでStanfordで過ごしてきた感覚からすると、「Politically incorrect」な発言(NG発言)は、大きく2つに分類できる気がする。1つ目が「差別に関わる発言」で、2つ目が「内面(精神)の自由を阻害する可能性がある発言」だ。

1.「差別に関わる発言」
端的に言うと、人種と性別に関する差別的な発言。「白人だから」「黒人だから」といった発言は特に好ましくなく、人種差別主義者だと思われるとその人の社会的なイメージの損傷は非常に大きいらしく(取り返しがつかないくらい)、皆、人種に関わる発言をせざるを得ない場合は、非常に言葉を選んで発言する。ただし1対1で個人的に話をすると、こっそり話をしてくれることもあるが、3人以上の場で、アメリカ人が自分からこの話題を振ることはまずないと思っていい。

ただ、白人の黒人に対する差別意識は、実は根深いという感じもする。何人かのアメリカ人と1対1で話した際には、「もちろんこんなことは公には話せないけど、やはり黒人はこの国では”奴隷”としてスタートしたから、どうしても出発点が違う。立派な黒人もいるけれど、全体を見ると、やっぱりまだアメリカの一市民としての洗練度は、足りないと思ってしまう」とのこと。「彼らは我々の”奴隷”だった」というのは私にとっては強烈なコメントで、その差別意識は表面的には規制しようとも、心の底ではそう簡単には埋まらないのだろうな、という感想を持った。ちなみに性別に関しても、クラスの黒人女性(すごく知的な人)の授業での発言は強烈だった。「Global Context of Management」というグローバル化に関する授業の中で、女性が社会的に活躍しにくい国に、女性がプロジェクトのリーダーとして派遣される中奮闘するというケースを扱ったのだが、彼女は「こんなことをされたら、即刻訴える」とのこと。アメリカの訴訟社会を感じた瞬間でもあったが、彼女いわく「女性が活躍しにくい国であるのに、女性をそこに送ること自体、女性に男女差別の現実を味わわせ、その人のキャリアに傷をつける最悪の行為」とのこと。確かにその通りだが、「即刻訴える」というその発言に、アメリカでの性別差別に対する意識の温度感を感じた。

2.「内面(精神)の自由を阻害する可能性がある発言」
具体的には、宗教と政治に関する発言。公の場ではこれらの話は一つのタブーになっている。私の今のところの理解では、宗教や政治に関する発言をすると、話がこじれて争いになってしまい、結局は逆に個人の内面(精神)の自由を奪う結果になってしまうからだと思っている。個人の信条、利害が端的に表れるところなので、逆説的だが、内面(精神)の自由を担保するために、内面(精神)に関する発言を抑制しているのだろう。積極的に「認め合う」というより、「会話にしない/干渉しない」。日本人からすると「さみしい」と思ってしまうが、はるかに多様な人と多様な思想を持った人が集まるこの国でこそ生まれた、独特の知恵なのだろう。

Politically Incorrect」について私が面白いなぁと感じるのは、実は「アメリカには言論の自由がない」という点。いささか過激なコメントだが、半分真実なのではという気がしている。「Politically Incorrect」な発言をすることは実質上タブーになっており、例えばアメリカの大学の中ではそのような発言をした教授は無条件で解雇になることがあるという話をアメリカ人から聞いた。「Politically Incorrect」な発言はその人の社会的なイメージを決定的に壊してしまうらしく、いかに「お金を稼げば尊敬される」シンプルなアメリカ社会においても、「Politically Incorrect」なレッテルを貼られると社会的名誉は地に落ちてしまうとのこと。他人への誹謗中傷など、どんな国でも言論の自由の制限は実質あるが、「Politically Correct」という概念は日常生活の中でも意識させられる場面が大きく、日本や西洋よりも言論の不自由さを感じる。

以上からは導かれないが、アメリカ社会に対する印象を仮説で大胆に書くと、アメリカ社会というのは、お金さえ稼げば尊敬される社会。「人種・性別差別」を撤廃することで、結果的に多様な人々の英知を最大限結集して、皆が「平等」にお金稼ぎをできるようにしている。逆に、それを阻害する人種・性別差別発言は、極度に嫌悪される。そしてお金さえ稼げば、誰も個人の内面・価値観については判断を下さない(非干渉&放置)。その意味でアメリカは「自由」なのだろう(ただ発言(≠内面)は制約を受ける)。こういった社会の在り方を示し、また支えている1つの概念が、「Politically Correct」という概念のような気がする。
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僕は逆にこっちに来てから、過度にPCに敏感になりすぎる事のデメリットを感じるようになりました。勿論、TPO、そして発言する人の立場によっては慎重にならざるをえない場合もあるのは間違いありませんが、学校や職場のような環境では、チームワークや信頼関係構築の阻害要因にならないように、時にはPCと正面からぶつかってみる事も重要かなーと思いました。でも、これは興味深い問題ですよね、確かに。僕もこの問題については何度か触れているので、良かったら遊びに来てみて下さい。

2007.12.03 16:08 URL | YD #I6NdXIiE [ 編集 ]

お久しぶり!確かに。慎重になりすぎるのは良くないですな。東海岸にはまだ遊びに行けていないんだけど、どこかでは遊びに行くんで、また会えるのを楽しみにしてるぞー。

2007.12.03 17:40 URL | ひろお #KwwQ.PwE [ 編集 ]

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2008.09.24 03:34  | # [ 編集 ]












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