FC2ブログ

Stanford MBA 心の旅路

Stanford大学でのMBA(Stanford GSB)留学に奮闘する、外資系経営コンサルティング・ファーム勤務の若者の心の日記blog。 コンサルティングの仕事、MBA受験からスタンフォードGSB合格、スタンフォードMBA生活、帰国にいたるまで。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
私が信頼しているアメリカ人の友人に、「アメリカの実情を知りたい」と頼んで紹介してもらった本を読んでいるが、非常に面白い。題名は「Bowling Alone(独りでボーリング)」。筆者はRobert D. Putnam。2000年執筆と多少古く、500ページ超の大作なので読むのに骨が折れるが、Bowling Alone内容を一言で言うと、アメリカの人的繋がりが1980年代以降希薄化してきており、アメリカ人の社交的なイメージとは逆に、人々はどんどん家庭に籠り、「他人と付き合わない国民性」になってきている、というもの。Robertはアメリカでおこっている事実、およびその理由、筆者の考える対策を、あらゆる切り口から、丁寧に数字や論文を引用し、包括的に論じている。学期が始まれば次々と本を読まないといけないので、今のうちに記しておこう。

Robert曰く、アメリカ人は1960年代をピークにして(特に1980年代以降)、人間同士がface-to-faceで関わるような集団社会活動への参加を急激に減らしていったという。その傾向は、あらゆる面(政治活動、市民活動・地域活動、教会・宗教活動、ボランティア・慈善活動、その他の友人・知人付き合い等)において否定しがたく観察され、Robertはその一つ一つを丁寧に論じている。これらの集団社会活動への参加が減った結果、必然的に職場が彼らの人間関係、社会活動としての最大の場となっていくはずだったのだが、この職場も80年代以降の解雇と給与カットの嵐、社外からの経営者派遣、結果主義の徹底などの中で、従業員の会社への帰属意識、モラルともに一気に減退してしまい、アメリカ全体としての人的繋がりが根底から薄れることにつながったという。Bowling AloneRobertは、「人的資本(Human Capital)」、「物的資本(Physical Capital)」と並び、「社会的資本(Social Capital:人的資本同士が繋がり合う中で蓄積・構築されているネットワーク的資本)」という概念を導入し、「社会的資本」が現在のアメリカにおいて崩壊の危機に瀕していると警笛を鳴らしている。アメリカにおける職場モラル、人間関係が崩壊している点についてはなんとなく感じていたが(皆、夕方になるとそそくさと職場を後にし、家庭に帰る。職場の中での飲み会や、上司が部下を飲み会に誘ったりすることは極めて稀で、あっても多くの人が参加しない。)、その代わりにそれ以外の集団社会活動に生き甲斐を感じているものかと思っていたが、そうでないとすると大変興味深い話だと思う。(ただし注意しないといけないのは、過去に比べてアメリカの社交性が落ちてきていると論じているだけであって、必ずしも世界の中で、または日本と比べてアメリカの社交性が低くなったと論じているわけでない。)

なぜ人々は、各種集団社会活動への参加をしなくなってしまったのだろうか。Robertは、大きく4つの理由を挙げている。
  1.時間とお金の切迫
  2.郊外への移住ラッシュ
  3.テレビの登場
  4.世代交代

1.時間とお金の切迫:
1人あたり賃金の減少、女性の社会進出を背景にして、多くの家庭が共働きにシフトしたのが大きな原因。家庭全体でより多くの時間が仕事に使われ、社会活動に投入する時間とお金の余裕がなくなったという。筆者は特に書いていないが、80年代以降の貧富の格差拡大の結果としての中流階級の崩壊、つまり経済貧困層の人数増大(一部の富豪が富を吸い上げ)によって、多くの家庭が金銭的に苦しくなってしまった現状も影響しているだろう。

2.郊外への移住ラッシュ:
アメリカの車通勤この期間、多くの人が都市から多少離れた地域に移住した。(いわゆるドーナツ化現象、スプロール現象。)その結果、多くの人が毎日より多くの時間を車内で独りで過ごすようになったという。(確かに、ビジネス地域の朝と夜の渋滞は本当にすごい。経営コンサルタント時代にロサンゼルス・オフィスを訪れた際、通勤に3時間くらいかけて来る人はざらだという話を聞いて驚いたのを記憶している。アメリカで車内での有料サテライトラジオや本の音読CDなどが普及しているのもこれが背景。ロスは中でも渋滞がすごい地域らしいが。)また多くの人が近所との距離が遠めの土地に広い一軒家で住むことになり、それも多くの人と交流する効率を落としたという。また郊外化とともに同じ人種の集落化が起こり、同じ価値観を持つ人同士が小さなコミュニティで完結し、大きな交流が減少したという。Robertがあげる4つの主な理由の中で、最も個人的に予想していなかった理由であり、興味深い。

3.テレビの登場:
説はあまりいらないだろう。テレビやテレビゲームの登場が、地域活動や友人と外で遊ぶ代わりに部屋で一人でテレビを見る時間を劇的に増やす結果となった。今やテレビを観ることが、アメリカ人の最大の余暇の過ごし方になっているという。

4.世代交代:
Face-to-faceでの社会的集団活動に消極的な傾向は若い世代ほど顕著であり、その若い世代がどんどん社会のマジョリティになっていくに従って、社会全体の傾向により大きな影響を与えるようになってきているというもの。(なぜ若い世代ほど傾向が顕著かの説明はRobert十分していないが、)そもそも、世間づきあい・社会活動・教会活動・慈善活動などは、親を見て学んでいくものだろう。特に社会活動や政治活動などは、大人にならないと普通参加しない。自分の親が、小さいころから社会的集団活動をほとんどしていなければ、それを見て育つ子供が社会的集団活動を学ばないのは当然の成り行きだろう。また、テレビ等、新しい文明の利器に最も敏感なのは、言うまでもなく若い世代である。

その他、興味深いものとしては、家族の平均構成人数の縮小化(離婚・シングルマザー家庭等の増大や子供の数の減少を原因とする)が、結果として家族を介して付き合う人の数を大きく減少させた点も指摘している。確かに、恒常的な人付き合いの多くは親の知り合いや、兄弟の友達、配偶者の友人などから広がっていくことが多い気がする。いずれにせよ、これらの要因が相まって、アメリカ人を社会的集団活動の場から追い出し、結果として仕事が終わればそそくさと自宅に帰り家庭(または部屋)に籠るアメリカ人像を作り出してしまったのだという。

同時に、Robertはアメリカ人がアメリカ人同士を信じなくなり、他人を助けるような心構えが冷え込んできており、信頼関係・相互依存関係がアメリカ全体で衰えてきている点を指摘する。因果関係は証明できないが、アメリカ人が社会的集団活動から遠のいてきたきた点と関係がないとは言えない。

日本は、大丈夫だろうか。ビジネスの面(職場の面)においては、アメリカの悪しき側面から学ぶ点が大きいだろう。地域活動、政治活動、(宗教活動)、世間付き合いなどは、どうだろうか。日本人の社交性は、まだ、大丈夫だろうか。それとも、アメリカと同じ道を歩んでいるのだろうか。
(この本は2000年執筆ということもあり、インターネットの「社会的資本」への影響については、残念ながら十分には論じ切っていない。)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下、面白いと感じたアメリカの変化の事実を、忘れないようにいくつか断片的に書いておく。

1)インフォーマルな友人・知人つきあい(食事、パーティー、なんでも)・・・・・
 ・ある1日に友人つきあいした人の比率 ▲4割: 65%(65年) → 39%(95年)
 ・使った時間の平均(
1日) ▲3割: 85分(65年) → 57分(95年)
 ・1週間に他人の家を訪れた人の比率 ▲4割: 約40%(`80前半) → 約25%(95年)
60年代までのアメリカでは、お互いの家を訪れあい、夜遅くまで語り合い、しばしばそのまま泊まったりする付き合いが典型的な友人・知人つきあいの形だったという。この30年間で、そういったインフォーマルは友人・知人つきあいは劇的に減ってきているという。昔は一つの交流の場であった友人とスポーツを楽しむ機会も劇的に減っており、逆にスポーツジムでの運動、一人でのジョギング、部屋での運動など個人での運動、またスポーツ観戦が相対的に増えている。スポーツ観戦を友達とするということはあるだろうが、全体として、スポーツの社会的資本としての価値も落ちてきているということだろう。


市民活動・地域活動・・・・・
 ・地域活動への積極参加市民の比率 ▲5割(半減): 70年代 vs 90年代末


逆行するが、実は表面的な社会活動団体の数は増えているという。
 ・NPOの団体数 2倍: 60年代 vs 90年代末

しかし、実は65年以降に設立された大きな団体の4分の3が地域に支部を持たない団体で、インターネットや電話で活動への賛同者を募り、資金を集めるような団体で、本当に市民がお互いに集まって活動をするような、社会的資本に貢献するような団体は、逆に数が急激に減っているという。これらの団体は、「ペンとサインだけで参加する団体」で、アメリカ人の多くが「自分は複数の活動団体に所属している」「複数の団体に寄付している」というものの、実質的な人的繋がりへの貢献はほとんどない(=社会資本としての価値は実はない)のが実態だという。


3)宗教・教会活動・・・・・
 ・毎週教会に行く人の比率 ▲~2割: 約45%(60年代) → 35~40%(90年代)


まず、宗教を信じている人ほど、社会的活動への参加率が高いという。教会や集会での定期的集まりが人的繋がりを構築し、結果として様々な活動に参加する契機を作るという。またキリスト教精神から、ボランティアなどへの参加率も当然に高くなるという。
 ・1日に話す人の平均数 +4割: 信仰あり vs 信仰なし
 ・ボランティア参加率 +3~4割
: 75~80%(信仰あり) vs 55~60%(信仰なし)
 ・慈善活動 参加率 +約7割: 50~60%(信仰あり) vs 30~35%(信仰なし)

教会に関する記述だけ、筆者の書き方が非常に慎重なのが面白い。やはりアメリカはそれだけ信仰深いし、信仰が衰えているという記述は議論を呼ぶことなのだろう。Robertは決して「信仰が衰えている」とは書いていない。「集団としての信仰活動への参加が衰えている」とだけ述べており、おそらく信仰の個人化が進んでいるのだろうと、筆を和らげている。いずれにせよ、多くの社会活動の根源ともなる集団での信仰活動の比率が下がっており、宗教が社会的資本としての価値を落としているという指摘は変わらない。

4)政治活動・・・・・
 ・大統領選 投票率 3割: 約70%(60年代) → 約50%(90年代:継続下落)
 ・政治活動への市民参加率 5割(半減): 60年代 vs 90年代


大衆の政治活動への関心低下とは逆に、政治団体の数はどんどん増えているという。この背後には政治活動の「プロ化」があり、一般市民が草の根活動(近所にビラを配る等)から手を引く一方、プロの政治活動(電話マーケティングなど)が増えてきているという。政治活動の全体の傾向は、日本も多かれ少なかれ同じだろうか。

以上、断片的に記しておいたが、詳しい統計の定義や出展、計算方法は直接原典(Bowling Alone)を当たってほしい。

スポンサーサイト












管理者にだけ表示

トラックバックURL↓
http://stanfordmba.blog108.fc2.com/tb.php/34-2f859b79

| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。