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Stanford MBA 心の旅路

Stanford大学でのMBA(Stanford GSB)留学に奮闘する、外資系経営コンサルティング・ファーム勤務の若者の心の日記blog。 コンサルティングの仕事、MBA受験からスタンフォードGSB合格、スタンフォードMBA生活、帰国にいたるまで。

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バークレーの坂道春学期が終了して日本に戻ってくる前のとある土日に、私が幼稚園から小学校1年生の間に過ごしたカリフォルニアのBerkeleyの古い自宅を訪問してきた。実は、現在留学しているスタンフォードの大学キャンパスからわずか1時間半くらいの距離、サマースクールを過ごしていたUC Berkeleyのキャンパスからは車で20分程度の距離に、私が5歳から6歳の間、昔1年半家族と過ごしていた古い自宅がある。いろいろと思い出は残っているが、小学校1年生に日本に戻ってきて以来初めての、つまり、24年ぶりの訪問であった。

私はBerkeleyでの1年半の生活以外、東京の日野市にあった父親の会社の社宅で幼少時代の大半を過ごしている。しかしその社宅は、すでに新たな開発計画によってつぶされてしまい、昔キャッチボールをした広場も、壁あてをした壁も、かくれんぼをした丘も、秘密基地を作った茂みも、化石をとった山も、よく隣の友達と遊んでいた小さな鉄棒も、すべてなくなってしまった。そういった意味ではこのBerkeleyが私にとっては今でも訪問できる唯一の故郷であることに気づく。

当時5、6歳だった私は、3歳年上の兄と一緒に、Berkeley自宅前の急峻な坂をスケートボードですべり降りたのを覚えている。兄が先に行くのを、私は凸凹の地面を眼を大きく見開きながら見つめ、よく遊んだ教会の回りの階段転ばないかハラハラしながら滑ってついていった。その坂の下の角には教会があり、その教会の周囲を走るコンクリートの細い道は、私たちにとって格好の遊び場であった。そしてその教会を左に曲がり、バート(地下鉄)の陸橋をくぐると私たちが通っていた幼稚園&小学校が左手にあった。

さて、冒頭の写真がその「急峻な」坂。およそ100メートル程度の短い、緩やか~な斜面であった。私の記憶の「決死のスケートボードをした急峻な坂」というイメージからすると、ほんとに肩透かしの「あれ?」という感じの坂であった。子供の記憶はこれだから面白い。当時の身体サイズ、運動能力からすると、恐怖の急峻な坂であったのだろう。そして、自宅。見事に24年前の自宅が残っていた。ちょうど前をうろうろしていると、買い物から現在の主である方が帰ってきて、偶然お会いすることができた。メキシコ人のマリオさん。もうかれこれ15年くらい住んでいるという。娘さんは現在私が通っていた学校に通っているという。家の前にあった大きな木(その枯れ葉を掃除するのが兄と私の大きな仕事であった)は切り倒されてしまった模様だが、家の奥の庭は、ほとんどそのまま残っているらしい。ただ、家のサイズも、予想よりこじんまりとした小さな家で、本当に子供のころのイメージとはすごく違ってショックを受けた。もっと立派な家だった気がしたのになぁ。。。家の下には地下室があって、そこは真っ暗でいろんなガス管などが這いまわっていたのだが、そこが小さい頃の肝試しの場だった。なんとその地下室の一番奥には、鹿の頭がい骨が置いてあったのだ。マリオさんにそれを聞いてみると、知らないとのことだった。またあるときキャンプから家族で帰ってくると、庭に鹿が迷い込んでいたこともあった。

隅にある教会幼稚園、小学校と通った学校にも行ってみた。これまた規模の小ささと、みずぼらしさにびっくり。もう、どこの教室で授業を受けていたかは覚えていない。ただ、授業が始まる前に、クラスメート全員でアメリカ国旗の方を向いて、胸に手を当てて国歌を斉唱していたこと、そのあと担任の先生への歌を歌っていたこと、休み時間に買えた25セントのオレンジのシャーベットアイスクリームがおいしくて、買えたときは誇らしげだったこと、毎週クラスメートが一人ずつみんなの前で、一週間であったことを発表しあう会があって、私は父親がラスベガスで勝ち取ってくれたぬいぐるみをみんなに自慢したこと、給食はメキシカンとアメリカンの2つから選べたけど、ほとんどメキシカンを選んでいたこと、学校の体育館でたまに映画の上映があり、いつもとても怖い思いをしたけど体育館から出てくると太陽の日差しがものすごく強くてびっくりしたこと、などなど、思い出は尽きない。

懐かしの自宅訪れてみれば、本当に小さな区画の中で過ごしていた、私の幼少時代。そこに、たくさんの思い出が詰まっている。何も考えていなかったように思えて、いろいろとちゃんと覚えてもいる。そうやって、親の保護のもと、育って今再びその現場を訪れている自分がいることを考えると、感慨深い。でも、訪れてみると、懐かしくもあるが、そこには今の人々が生き、今の生活が進行していることに気付く。小さな目線から、小さな体から、小さな頭脳から経験したあのときの世界はもうそこには残っていない。大人の目から見るBerkeleyの坂はゆるやかで短く、家は小さく、そして教会も荘厳なイメージがあったが、全く違う。

私が幼少時代の大半を過ごした日野市の社宅は、現在はもう存在しない。でも、Berkeleyの故郷を訪れてみて、むしろ自宅や教会、学校自体というよりも、そこでの友達や家族とのいろんな思い出、出来事、写真などが、本当に価値があるものであり、時に戻ってくる本当の「故郷」なのだなぁと感じた。社宅時代に日野市でよく見た、夏の夕焼け景色。寝付けないときに母親がだっこして見せてくれた社宅の窓から見えるしずかな茂みと山の風景。そういった心の中にある風景こそが、自分の本当の故郷なのかもしれない。
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2008.08.20 18:52  | # [ 編集 ]












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