Stanford MBA 心の旅路

Stanford大学でのMBA(Stanford GSB)留学に奮闘する、外資系経営コンサルティング・ファーム勤務の若者の心の日記blog。 コンサルティングの仕事、MBA受験からスタンフォードGSB合格、スタンフォードMBA生活、帰国にいたるまで。

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上海にて日本の中堅企業で1か月半ほど、ロンドンに来る前の話だが、知り合いに紹介してもらったツテでインターンをさせてもらった。当初は「一人経営コンサルテーション」をさせてもらおうと計画していたのだが、なかなか29歳の若者に経営コンサルティングを頼みたい経営者などおらず、四苦八苦したことは前に書いたとおりである。結局、「アメリカで経営を勉強しているのだが、日本で勢いのある中堅企業について勉強をさせてもらいたい」というお願い形式で、最後はなんとか知り合いの知り合いが会長をやっている会社に拾っていただくことができた。

その会社は従業員が500名程度、中国にもオフィスを持ち、売り上げは数十億円規模の日本企業。会長と2人で10日間程度の中国視察旅行に行った際のことは前に記述したと思うが、会長(60歳)が非常に懇意にしてくださり、得難い貴重な経験をさせていただいた。

会社は第一のビジネスがようやく軌道に乗り、会長は1年前に新しく社長を招へいし、自分は会長に退くという世代交代を実施。社長は現在のビジネスをしっかり伸ばしていく一方、会長は将来の第二の柱となるビジネスを今のうちに温めておきたいという段階であった。会長は日系経営コンサルタントとしてキャリアをスタートするが、すぐに会社を飛び出し、商社に入社。そこで10年がかりである部門を日本一にしたことで自信をつけ、しばらくのち再び古巣の日系コンサルティング会社に戻り、その後外資系コンサルティング会社に転職、その後は出版や研修の講師などをしながら、50代に現在のビジネスを立ち上げるに至ったという、非常に経験が豊富な方である。

会長と企業視察私は外資系経営コンサルティングに新卒で勤めていることもあり、この夏は「実業を疑似体験できる」「一人ですべて責任を持って仕事を取り、仕上げる」「前職の会社の傘を離れ、武者修行する」といった要素が満たせる経験をしたいと願っていた。前職の会社からも、有名企業の社長補佐、CFO補佐など、複数大変興味深いポジションのオファーをもらったのだが、あえて自分で仕事を取り、自分で仕上げ、武者修行をしたいと願い、知り合いのツテなどを頼り、なんとか今の会長に拾っていただいた。会長は私の悩みを若い頃に経験されていた模様で、非常に懇意にしてくださり、会長と社長の間に机を設け、メール、電話、関係のない会議から社長会(いろんな企業の社長が集まる会合)への参加まで、ありのままの経営者の姿を見せてくださった。

経営コンサルタントと、会長(起業家)で大きく違うなぁと思ったのは、「人をどう巻き込み・動かすか」に関する関心の高さと、執着心。もちろん経営コンサルタントも人をどう説得し、動かすかは常に考えているが、その泥臭さ、執着度においては大きな差があると感じた。


人が「動くかどうか」に関する感覚の鋭さ
上海の地下鉄通勤ラッシュ中国への視察旅行の際、現地のいろんな提携候補企業の経営者と多くのミーティングをこなした。ミーティング後、会長と意見を交換しあうのだが、このときに、会長の視点にハッとさせられることが多かった。ひとつ自分との差を感じたのは、人のモチベーションと、相手の人となり(家族構成、事の経緯、性格、本人を取りまく人のつながり等々)に対して向けられる関心度が大きく違った。

「彼はああ言っているけど、きっと酒を飲めば愚痴が出る。親が××に住んでるでしょ。で、親会社が水産系の会社だからね。きっと××あたりの話を持っていけば乗ってくるんじゃないかなぁ。。。」
「いやぁ、彼はあの言い方は××と裏でつながりがあるよ。だって先に××について質問してきたのは彼でしょ。こっちが裏から手を回すと、逆に梯子を外される可能性がある」

経験の賜物でもあるだろうが、私が単純に表面的なことを見てしまう傾向がある中で、会長は常に「人がどう感じるか、人をどう動かすか、巻き込むか」といったことを常に感じていた。


人に好かれる術、人の心に入り込む力のすごさ
会長はとにかく人とすぐに仲良くなる。ホテルの従業員でも、電車で隣に居合わせた人でも、初めて会うほかの企業の経営者でも同様である。人の心に入り込む、人に影響を与えていく方法は複数あると思うが、会長の場合は、とにかく人に警戒心を抱かせず、するりと心に入っていく。たとえば、

・共通点を模索して、強引に「縁ですねぇ」と親近感を演出する
・相手との過去の経験に関しては、楽しかった、よかったと、ポジティブなことのみ話す
・相手を持ち上げて、自分を馬鹿として笑う
・人に笑顔で話しかけ、世間話、身の上話をする

などと、書いてみれば当たり前だが、こういったことを自然に、会長のスタイルとして実行されていた。彼の笑顔は特に天性のものと言える魅力的な笑顔で、本来非常に優秀な営業マンなのだと思う。


ネットワークの力
瀋陽にて食事これは経営コンサルタントもシニアになれば非常にすさまじいものがあるが、会長もまた、特筆すべきくらい人脈がとにかく広い。経営コンサルティングをやっていたことや、複数会社を転職したことも人脈の面では大きいとおっしゃっていたが、それ以外でも、定期的なスポーツ会、異業種勉強会、社長会、大学の部活や旅行仲間、高校など、仕事外でのつながりを強く持っている。これは今ロンドンに来て一層思うことだが、仕事外で、リクリエーションや運動、旅行、趣味で知り合う友達というのは、利害関係がないため純粋で強いものになりやすく、人と知り合う上では非常に有効だと思う。特に規模が小さな会社では社長がお客さんを取ってこられるかが重要になってくるかと思うが、彼はその能力がずば抜けて高いように思える。たとえば取引先の超大企業の役員クラスに複数知り合いがいて、彼らが危機の際資本を出してくれたり、大切な情報を提供してくれたり、案件や人を紹介してくれたりしているのだ。

中堅企業の現場の経営者は、周りや世の中の流れがどちらに向いていていくのか、どこに帆を立てれば風をうまくとらえられるのか、そういったことを知ることがとても重要になってくる。ただ、人・金・モノが大企業に比しても貧弱なケースが多いため、やりたくてもできない、動きたくても動けない、情報がないので状況が分からない、そんな状況にあることが多い。その際、顧客の様子や、世の中の流れをつかめる信頼度の高い情報を与えてくれるのも、仕事のパートナーや仲間を与えてくれるのも、案件の情報やアドバイスを与えてくれるのも、すべて会社内外(主に外)の人脈であることが多い。


日本にて以上、経営コンサルタントと現場経営者の主な違いを気付いた部分で書いてみたが、一言で言うと、経営コンサルタントが欠きがちなのは、「泥臭いセールスマンシップ」だと思う。経営コンサルタントは、ジュニアのころは営業をする必要はない。基本的にトップ営業であるので、プロジェクトが組成されてからメンバーとしてアサインされる。テーマはクライアント企業の危急の経営課題であるから、クライアントは基本的にはこちら側を最初から向いてくれている(もちろん敵対意識、「邪魔してくれるな」意識が最初は存在するケースが多いが、テーマがテーマなだけに無視しきれない)。プロジェクトのクライアント側のメンバーは社内でのエース格、社内での影響力がある方々が入るケースが多いので、こちら側がクライアント社内の「泥臭い社内セールス」まで手取り足取りする必要もなく、トップダウンで物事が済んでしまうケースも多い。また、経営コンサルティング会社に勤める人々は比較的頭もよく、理解ある人であるケースが多いので、社内で理不尽なことに遭遇する機会も少ない。そんな中、特に新卒で経営コンサルタントに入ると、または中途であっても長い期間コンサルタントをやっていると、「泥臭いセールスマンシップ」が鍛えられない傾向があると感じる。

ただ、「泥臭いセールスマンシップ」は、もちろん商社や現場で多様な考えの多様な人種と接し、いろんな人や組織、社会の壁にぶつかったり、ノルマで仕向けられたりして鍛えられる部分が大きいだろうが、そうでなくても、日常のいろんな活動の中で、多様な考えをもった多様な相手に対して影響力を行使しようと試みる中で鍛えられ得るものでもあると思う。この「泥臭いセールスマンシップ」は、現在やらせてもらっているスタンフォード日本人会の仕事や、クラス内外の活動の中でも大いに実践できることだと思うので、2年目の一つの重点項目にしていきたいと思っている。
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Notting Hill Carnivalにてロンドンに来て語学学校の学生と話をするうちに、改めてひとつ気づいたことがある。それは、「笑顔とユーモアの力」。あるイタリア人と世間話をしているときに、別に彼が面白いことを言ったわけではないのだが、私が自然と愛想笑いというか、自働的な笑顔というか、とりあえずよく分からずに笑った時の会話が印象的だった。

  「今、なんで笑ったの?」
  「え? あ、笑ったっけ? そうだね。 ははは。」
  「ははは! 不思議だけど、君が笑うと、私も笑っちゃう。」

「君が笑うと、私も笑っちゃう」という言葉にハッとした。振り返ってみると、語学学校ではいつもジョークをいったり、笑ったりしていることに気付いた。そしていつも笑っていると、自然に人が集まってくる。笑顔は伝染するものだと思うし、笑っている本人も幸せだから素晴らしいことだと思う。

ニューヨークにてクラスメートと私は前職のコンサルティングファームではジョークを言ったり、笑顔を振りまいたりする方では決してなかった。むしろ仕事のプレッシャーと責任感の中、眉間にしわを寄せていたことばかりだったと思う。笑顔とユーモアの力はすごいものだと思う一方、仕事で笑顔とジョークを絶やさないのは難しいことだなぁと思う。心の余裕が必要だろう。今のスタンフォードでも、簡単なグループワークや、自分が経験のあるワークでは笑顔とジョークが自然と溢れ、みんなにもサポートしてもらいながらうまく仕事が進むが、英語が分からなかったり、テーマの理解が不十分だったりすると、笑顔とジョークが息をひそめてしまう。子供のころも、よく笑う子だねと言われていたようだが、受験を始めてからは、笑顔が減った気がする。人のよって差はあるのだろうが、私の笑顔とジョーク力は、ストレスに対して敏感に反応して減衰してしまうらしい。

私は、笑ってジョークを言いながら楽しく生活している自分の方が好きである。その方がみなと仲良くなるし、心が満たされた時間を過ごせる。今の自分は、「自然な楽しい自分」を表現できている気がする。そう、これまでの自分を振り返れば、笑顔とジョークのスタイルは、ひとつの自然な自分のスタイルだった。前職の会社でも、笑顔とジョークを交えながら仕事をしっかりとこなしていた上司が沢山いた。すごいことだと思う。経営コンサルティングという、自分にとっては難しい仕事をこなしながら、笑顔とジョークを絶やさない。帰国後それができるかは、自分にとってのひとつのチャレンジでもあるとも感じた。
British Museumロンドンには美術館、博物館が沢山ある。その中でも親分格が、British Museum(大英博物館)と、National Gallery(絵画)の2つだろう。National Galleryには、私が好きなレンブラントとターナーのコレクションを見に行ってきたが、パリのルーブルの方が、いいコレクションを持っていると思った。ちなみに、ゴッホのひまわりもここに展示してある。他の作品と同様に壁にひょろっと掛けてあるのを見て、かなり前に日本に「ひまわり」が来たときに、上野の美術館で長い行列を待ち、薄暗い重厚なガラスケースの奥にひっそりとたたずんでいた「ひまわり」と、だいぶ印象が違うなぁと思ったりした。(日本は、展示方法がもったいぶりすぎている気もする)。今回は、至近距離5センチくらい、鼻がキャンパスにつかないくらいの距離から、ゴッホのタッチをしっかり、じっくりと観察させてもらった。

大英博物館入り口さて、もう一つが大英博物館。とにかく館内は広大だが、何よりその展示物の時間的・空間的な広がり(太古から現代、アジア・アフリカからアメリカ・ヨーロッパまですべて)に驚かされる。しかも、展示物の多くが世界各国の遺跡から採取してきた(略奪?窃盗?)ものだから、おもしろい。世界各国から大英帝国が略奪してきたものを、堂々と展示しているのだからすごい。

神殿。どうやって持ってきたの?とにかく、略奪品のサイズがでかい。イースター島のモアイ象、パルテノン神殿の大量の飾り石、小さな神殿そのもの(!)、エジプトのスフィンクスなど、どうやって運んできたんだと考えるだけで、略奪への情熱(?)が感じられて面白い。略奪品をめぐっては、はやり世界各国から「返還してほしい」という問い合わせが相次いでいるという。イタリアからも、ローマ時代の遺跡など、またギリシアからはパルテノン神殿の飾り石など、返還を求める声が昔からずっと上がっているという。それでも大英博物館は返還しない。返還せず、無料で世界各国の人に展示し続けている。イギリス人数名に意見を聞いたところ、「見学者は世界各国を回らなくても、ロンドンに来れば世界が見られる。そのメリットは計り知れない」「イギリス人の方が、遺跡の価値をわかり、うまく展示できる」「ここにある展示物は、我々が持って帰ってこなければ、彼らによって見捨てられ、風化してしまっただろう展示物も沢山あるのだから、文句を言われる筋合いはない」とのことだった。大英帝国の威信の象徴というか、神経が図太いというか、おもしろいなぁと思った。
Royal Albert Hall内部ロンドンで毎年7月から9月にかけて行われるクラシックの伝統行事、「Proms」のコンサートに参加してきた。貧しい人にも良質のクラシックを聴いてもらおうと、Royal Albert Hallのアリーナ席の椅子がすべて取り払われ、5ポンド(約1,000円)の値段で立ち見でクラシックが鑑賞できるのである。毎日何からの演奏が行われ、特に最終日の盛り上がりは有名で、観客が総立ちになって国旗を振りながら大合唱をしたりすると聞いている。残念ながら最終日まではロンドンにいないが、気に行った演奏がある日は、アリーナ席にトライしてみようと思っていた。

実は、先週イタリア人の友人とベルディーのレクイエムを演奏するということでRoyal Albert Hallに行ってきたのだが、1時間半前に到着したところ、すでに長蛇の列が会場を取り巻き、結局雨の中傘も持たずに1時間以上待ち、結局会場に入れないという手痛い思いをした。その反省を生かし、今回は開演の4時間近く前から並ぶことにした。(チケットを取ろうともしたが、すでに売り切れていた)。

それでも、もらった整理券の番号は780番台。900番くらいまではおそらく入れるという話だったので、4時間近く前に並んでもギリギリだったということになる。ちょうどブラームスの交響曲3番を演奏するということで、有名な曲が演奏される際には長蛇の列ができると分かっていたが、危なかった。

カーテンコールRoyal Albert Hallは、音響も雰囲気もやはり素晴らしかった。ただ、2時間以上物音をたてないように立ちっぱなしというのは意外につらく、後半のショスタゴビッチの交響曲では、曲を知らなかったこともあり、やや疲れてしまった。今回改めて思ったのは、知っている好きな曲を聴きに行くのがやはりベストということ。ブラームスの3番は、実はクラシックをちゃんと聴き始める契機になった交響曲。正確に言うと、2番と3番両方なのだが、1番、4番という有名な重いトーンのベートーベン的な交響曲と打って変わって、特に2番だが、すごく豊かで優しく重厚な音色を奏でる交響曲だ。実はこの2番、3番を、仕事が非常に忙しく、仕事だけの生活になってしまっていた時によく聴いていた。親からもらって聴き始めたのだが、2番の低いトーンの出だしから、森林の奥深く、大河が悠々と流れる大自然の中に迷い込んだような雰囲気を与えてくれ、溜まったストレスをうまく発散させ、リラックスさせ、心を潤してくれる最高の交響曲だった。

Royal Albert Hall外部Royal Albert Hallで聴いたブラームスの3番は、やや弦楽器が弱めで、途中多少走りすぎている感があったところもあったが、やはりとても素晴らしく感動した。しかしその次のショスタゴビッチの交響曲10番は、知っていたらもう少し楽しめただろうに、正直途中で疲れてしまった。不安定な重低音に、不安げながらダイナミックで激しい曲進行に、なかなか面白い交響曲だと思ったが、知っていなければ楽しさ半分。友達に誘われても、知らない曲だったら行っても自分は楽しめないな、なんて思ったりした。
グローブ座の舞台16世紀末に建設されたシェイクスピア作品を数多く上演した有名な劇場を、1997年にテムズ川の南岸にそのまま再建したのが、「Shakespeare’s Globe Theatre」である。親に進められ、劇を観に行ってきたのだが、残念ながら観たいシェイクスピアの作品は上演していなかったので、フランス革命に関する現代演劇(「Liberty」)を鑑賞してきた。

劇場は観覧席と舞台に一応屋根があるものの、オープンエア。円形に3階建ての観覧席が木製で作られ、中央の立ち見席の広場、そして舞台を取り囲む構造になっている。昔ながら劇場を再現したということだが、ここでもイギリスの「古き良きものに対するこだわり」というのを感じた。

まず、オープンエアなので、照明がない。昔演劇をやっていた頃は、座長さんがよく「音響と照明で雰囲気の8割ができあがっちゃうんだから、音響・照明さんには感謝しなさい」と言っていたが、照明がないというのは、非常に演技の質を問われることだと思う。太陽が照れば客席ではサンバイザーを被る人もいれば、曇って雨が降ってくれば、舞台は薄暗く、見えにくくなってしまう。自然の、日常の光の中で、現実とは違う空間を演じる。これは、大変に難しいことである。

グローブ座次に、しっかりした現代的な音響も、ない。今回観劇した劇でも、演奏はすべてアコーディオン、バイオリン、太鼓といった原始的なものを、舞台脇で奏でたり、役者が移動しながら演奏したりと、非常にシンプルなものであった。また、オープンエアであるため、飛行機が飛んで来れば役者の声は聞こえにくくなり、鳩が舞い込んでくればハタメキの音が聞こえたりもする。当然マイクなどもないから、役者は全員肉声で全観客に声をとどかせる必要がある。あくまで役者の肉声、そして素朴な昔ながらの楽器の演奏によって劇を進行させていく様子に、逆に目新しさを感じた。

そして、舞台幕が、ない。大掛りな舞台装置も、ない。舞台幕がないので、出した小道具、大道具は、お客さんが見ている前で、誰かが片付けないといけない。当然照明がないから、暗転もできない。舞台転換をきれいに素早くするには、演出に非常に知恵がいるだろう。

「Liberty」カーテンコール鑑賞した演劇は、とても素朴で印象深いものだった。ダイナミックな舞台演出、音響、照明がないから、とてもシンプルで、身近に感じると共に、演技そのもの、役者そのもの、ストーリーそのものが、逆にしんなりと心に残るような気がした。ゲーム業界で、ゲームのアイディアが勝負だったファミコン時代から、画質・画像ばかりに頼りすぎて「ゲームのアイディアの本質」がよく見えないゲームが増えたというのも、似ている現象かもしれない。彼らがそこまで意味を込めてグローブ座を再建したとは思わないが(むしろ単純に、「古きよきもの」を語り継ぎたい、という意味が大きいような気もするが)、「素朴でシンプルなあり方」の良さを感じさせてもらえる観劇であった。ただ、ここで演劇を上演するのは、勇気がいる。ごまかしが利かないし、何しろ制約条件が大きい。シェイクスピアの演劇は伝統を守って演じ続けられるだろうが、現代演劇作家は、普通はこの劇場を選択したがらないだろうなぁ、などとも感じた。
バンコクにてロンドンに来る前に、1週間弱ほど友達とタイに遊びに行ってきた。タイ人の友人があいにくタイにいなかったので、彼らに普段行くレストラン、クラブなどを一通り教えてもらって訪問をしてきた。

タイはこれまで2度ほど訪れたことがあったが、タイの北部(チェンマイ等)を電車で登り歩き、首長族を見学にいったり、バンコクの安宿に泊まったりと、いずれもバックパック的旅行であった。今回、ビジネススクールに通う比較的裕福なクラスの人が通う場所をめぐってみて、また違ったバンコクの側面を見ることができた。レストラン&バー、クラブ、リゾートと、それぞれ心に残った場所を1つずつ紹介したい。

レストラン&バー … バルコニー全開夜景 + 絶品の地中海料理: Sirocco
Siroccoシーロム通りのステートタワー高層階にあるバルコニー・レストラン、Sirocco。ホテルの60数階にあるレストランで、イタリアン、地中海料理で階が分かれる。いずれもバンコクの夜景を見渡せる巨大なバルコニーを持っており、特にバーエリアは高層ビルのエッジに突き出すような形で円形に設置されており、壁も胸くらいの高さのガラスの透明のもので、下には簡単なネットが張られている程度。温かい風に吹かれながら、非常にリアルに360度のバンコク夜景を「体感」できる。夜景・雰囲気はさることながら、ここで食べたタイ料理(地中海料理とのミックス)が非常においしかった。パッタイ(屋台などでも食べる麺料理)なども頼んだのだが、パッタイでありながら、非常に上品に味をまとめていてびっくりした。ワインリストも、ロマネコンティからシャトーペトリュス、ルパンといった幻のワインまで揃え(1本数百万円のものも)、世界でもハイランクに入るような雰囲気と料理を提供していると思った。値段は高めだったが、アメリカで高いレストランに入るよりROIは断然高い。

クラブ … ベッドがあるダンスクラブ: Bed Supperclub
Bed Superclubにてどちらかというと欧米の観光客が多いクラブだったが、クラスメートのお勧めで行ってきた。クラブ内は白で統一され、非常に清潔感があふれる雰囲気。後日知ったが当日はモデル・ナイトということで、モデルが多数遊びに来ていた模様で、どおりで奇麗な女性がやたらと多かった。客層の7割は欧米系、音楽は当日はラテン系中心。名前のとおり、ダンスフロアの脇に真白の巨大なソファーベッドが並び、そこにミニテーブルが置かれ、踊り疲れたらソファーベッドでくつろぐという、いわばダンスクラブ&日本的「クラブ」の中間のような感じ。今から思えばモデルのグループだったのだろうが、かっこいい・綺麗な男女がシャンパンをバンバンボトルで入れ、ソファーベッドで盛り上がり、ダンスフロアで盛り上がる様子はなかなか「ラグジュアリー」な感じであった。

リゾート … クラビー島でのアイランド訪問
クラビのアイランドにてプーケットやパタヤは観光客が多いということで、クラビー島を訪問。どの国でも同じだろうが、ホテルに着いたときから、バンコクの大都市の人とはまた違ったのんびり感が人と町にあふれ、田舎の人たちは人間っぽくて優しいなぁと思った。ここでは友達同士でボートを一隻借り切り、ドライバーと操縦士を雇ってクラビー島のアイランド巡りをした。これが本当によかった。すべてグループで借り切っていたので、腹が減ったら適当なところで止めてもらって飯を食ったり、気に入った島で2~3時間滞在したりで、計画を自由に組める。
最高だったのが、名前はわからないが、写真の島。砂浜が長洲のように伸びており、その先端では両脇から波が優しく砂浜に打ち寄せる。どこまでも透明度の高い浅瀬で、また海の温度が最高に温かく、まるで波に打たれるジャグジーにいるよう。真白な砂、静かに打ち寄せる波、遠くに見えるほかの島々を眺めながら、皆で3時間以上、ぼんやりと海に浸かっていた(島には我々だけで、他の観光客は誰もいない!)。帰りは、日が沈む中、みなで歌を大合唱しながら本島まで戻る。このアイランド巡りは非常に忘れられない思い出となった。

タイ人の友達もこんなところにいつも行っているわけではないだろうが、これまで貧乏旅行しかしたことがないタイだったので、またちょっと違ったタイの側面を見られたいい旅行になった。
ケンブリッジ 教会の塔より学校の友達と一緒に、イギリスで有名な大学町であるケンブリッジを訪問した。大学用に仕切られた特定のキャンパスが存在せず、大学自体が町と融合しており、町の中に何十もの建物やCollegeが分散して存在し、それらを総称して1つのUniversity of Cambridgeということになっているらしい。Oxfordも同様のスタイルのようだが、なかなか面白い。

ニュートンの木ここでもイギリスの歴史と威厳を感じさせられる。80人以上と、世界の大学で最多のノーベル賞受賞者を出しているとのこと。中でも名門CollegeといわれるTrinity Collegeからは、アイザック・ニュートンやフランシス・ベーコンをはじめ、30数人のノーベル賞受賞者が輩出されているという。写真はニュートンが重力の法則を思いつく契機となったと言われるリンゴの木。実際はいろいろ諸説ある模様だが、いずれにせよニュートンがこの建物で、ここで学び、そして重力の法則を見出したと考えると、とても感慨深いものがある。

ケンブリッジ 運河ケンブリッジは、昔ながらの町並み、建物、歴史を生かしながら、現代に適応させているイギリスの非常にいい例だと思った。建物はほとんどが石造りで、まるでおとぎ話の中のお城のような建物がいくつも建っている。ケンブリッジの歴史の比ではないが、私が学んだ東京学芸大学附属高校も、校舎は石造りで、学生が学ぶ机と椅子は完全木製の非常に小さなもの。私がいたころは空調も完備されておらず、夏は夏らしい熱気のなか、みなウチワであおぎ、汗を流しながら授業を受けていたりした。机の上は古くなった木の木目によって荒れ放題で、鉛筆やシャーペンがたびたび紙を破ったのを覚えている。ただ、そんな「歴史」を感じる空間で学ぶというのは、多少の不便はあれど、なぜか規律や秩序をもたらしてくれるような気もしたりする。

お城のようなCollegeの前で私が学んでいるスタンフォード大学は、そもそもは乾燥した田舎の真ん中に、スタンフォードさんの寄付によって人工的に建てられた巨大な大学である。広いキャンパスに緑の芝生、ヤシの木、ロココ調の建物。校風は、「自由の風が吹く」。これもまたアメリカらしい、ケンブリッジとは全く異なるカルチャーだと思う。どちらがいいとは言わないが、スタンフォードで学んでいる私の目からは、ケンブリッジの在り方がとても新鮮に映った大学訪問であった。
Her Majesty Theatreここ2週間で、3つほどミュージカルを見た。1つ目は、オペラ座の怪人。2つ目は、レ・ミゼラブル、3つ目は、シカゴ。

オペラ座の怪人(The Phantom of the Opera)は、以前もレポートをしたが、ニューヨークのブロードウェイ、ラスベガスに続き、3回目。何度観ても、やはりあの音楽と、オペラ座の怪人の繊細かつダイナミックな感情変化の芝居に感動をしてしまう。大学時代にミュージカル、演劇を少しだけかじっていたこともあり、彼らの「うまさ」を骨身にしみて感じてしまう。

大学時代、ある演劇の公演で主役を務めさせてもらったことがある。創作劇で、これまで自分勝手で、泥棒やすりなどを繰り返して恩を知らなかった人物が、ある人物と出会い、時間をともに過ごす中で、過去の自分を悔み、そして信頼や、人に「与える」ことを覚えていくという部分があり、主役が、はじめて他人に「与える」ことを行動に移す(目の見えない少女に食べ物をそっと手渡す)大切なシーンがあるのだが、これをうまく身体表現することがなかなかできなかった。心の揺らぎや、思いきり、そしてその後の心の変化などを演劇やミュージカルでは、「表情」ではなく、「体で表現」する必要がある。座長さんに文字通り徹夜で、そのシーンを何度も練習させられたのを思い出す。振り返ると、自分自身、台本の読み込みの時間が足りなかったりして、その主人公の心の微妙な変遷を深く理解、咀嚼できていなかった部分もある気がするが、いずれにせよ、微妙な感情表現を自然に、うまく身体表現できる人はすごいなぁと思う。(その座長さんはとてもよくしてくれて、台本を書かせてくれたりもしたが、正直私には演劇の才能はあまりないと思った笑)

Her Majesty Theatreオペラ座の怪人で好きなのは、やはりオペラ座の怪人の愛情(というか独占欲、実現欲:エゴ)が裏切りによって悲しみに変わり、そして怒りに変わり、復讐に燃え、しかし最後はクリスティンの心を力づくでは取り戻せないことを悟り、再び悲しみ、みじめさ、脱力へと転換する心の機微。それから、オペラ座の怪人の歌のハイ・トーンの優しく悲しい美しさ。演技力・歌唱力の総合評価では、やはりニューヨークで見たものが一番であった。ロンドンのものも非常によかったが、由緒正しき「Her Majesty Theatre」での観劇であったが、多少舞台が見にくく、それが残念だった(ブロードウェイでは、だいたいどんな席でも舞台がきちんと見える)。

レ・ミゼラブルでは、フランス革命に燃えて命を捨てていく若者たちや、法と恩義に板挟みになり最後は自殺をするジェベール警官などを見ながら、やはりどんなに大義があっても、一時の情熱に燃えず、絶対に自分(と家族)の命(心と体)だけは大切にしないといけないな、と思った。

シカゴでは、ロキシー役の役者がとても個性的な声と身体表現を持っていて、非常に面白かった。あれだけ踊ってまったく息が切れない、彼ら・彼女らのトレーニングには脱帽する。

ニューヨークでも感じたことだが、美術館や音楽も含め、やはりレベルの高い芸術(西洋芸術)に気軽触れられる環境にいるロンドンの人々は、改めてうらやましいなぁと感じた。(ただし、やや高い。30~55ポンド=6,000~10,000円)
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