Stanford MBA 心の旅路

Stanford大学でのMBA(Stanford GSB)留学に奮闘する、外資系経営コンサルティング・ファーム勤務の若者の心の日記blog。 コンサルティングの仕事、MBA受験からスタンフォードGSB合格、スタンフォードMBA生活、帰国にいたるまで。

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- --:-- | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) |
韓国人のお友達5月21日は私の誕生日だったのだが、その前日の20日、クラスメートが誕生日会を開催してくれた。年を取るのが段々と怖くなってくる年齢で、かつ意外と恥ずかしがり屋なので、表だってパーティーなどは企画しないようにしていたのだが、やっぱりこうして親しいみんなに祝ってもらえるのは嬉しいことだ。パーティーでは、2人の親しい友人が手の込んだ「仕込み」をしてくれた。ことしの冬休みにJapan Trip(ビジネススクールの教授と学生30名程度で日本を訪れる旅)を企画しているのだが、そのミーティングということでクラスメートにすっかり騙され、レストランでミーティングをしている途中に、突如多くのクラスメートが入口から押し寄せ、サプライズでパーティーをしてくれるという手の込んだ展開。思わずジーンと来てしまった。

また年はとっちゃったけど、(ワインのように?)年齢を重ねるたびに味わい深い男性になれるように頑張りたいと思います。そんな大好きなワインを沢山クラスメートからもらい、とても幸せな誕生会でした。
誕生会
スポンサーサイト
スタンフォードのキャンパス大分前になるが、「MBA受験のクライマックス ~エッセイ(前半)~」の稿で「前半」と書きながら後半を書いていなかったので、この際に後半として、スタンフォードの名物Essay(「What matters to you most, and why?」)について触れておきたい。

スタンフォードのエッセイは、Long Essay(3-4ページ/Essay)2本+Short Essay(1-2ページ/Essay)2本で構成されているが、何よりも特徴的なのが第1問目のこのエッセイである。非常にシンプルかつ本質的な質問と言えるだろう。

「What matters to you most, and why?」…なんと受験生泣かせの設問だろう。正直、このエッセイに正解はないし、王道もない。なぜ私が通って、他の人が通らなかったかも、明確には分からない。ただ一つだけ言えるのは、アドミッションはこの設問を非常にしっかり読んでいるということ。合格後にMBAのアドミッションのDirectorとキャンパスですれ違って話をした際に、「あなたのエッセイ、覚えているよ。××は、すごく重要なことだと思う。すごくいいエッセイだったよ。頑張ってね。」と私のエッセイの冒頭の設問のディテールに触れて褒めてくれたのを覚えている。何でも褒めてくれるのがアメリカなので、決して私のエッセイが素晴らしかったと言いたいのではなくて、それだけ、アドミッションはこの設問をしっかり読み込んでいるんだなぁという強い印象を受けた。同じようなエピソードは、ほかのクラスメートからも聞いた。

さて、冒頭に書いたとおり、この設問に「王道」はないが、私が実際の自分のエッセイを振り返って「よかったな」と思うポイントを2つほど掲げておきたい。

1.最も「自分」を突き動かしてきた根源的な価値観・原体験を、
  パーソナルで具体的なエピソードで綴ること

言うは易し、実行するは険し。しかしまずは、とにかく徹底的に自分を煮詰めることをお勧めしたい。私の場合は、昔から自分自身についてはいろいろと考える習性があったのでその蓄積もあったが、いろいろな角度から自己分析をし、それを徹底して他人と議論すること。自己分析手法としては、たとえば
  ・子供時代から今まで、すごく楽しい、悲しいと思った経験をすべて書きだして、
   なぜそう思ったのかを考えていく
  ・自分の葬式の場面を想定し、回りの人にどんな人だったと言ってほしいかを
   真剣に考える、  など。

他人との議論については、おススメは両親。彼らは生まれたころから自分のことを知っている訳で、直観的に、「本当?」「こうなんじゃないの?」と鋭いコメントをもらえたり、非常にいい壁打ちの相手になってくれると思う。鍵は、とにかく深さである。恥ずかしいぐらい、突き詰めていくことが大切だと思う。

さて、徹底的に掘り進んだ時点で多くの人が行きつくのが、「これってでもすごく抽象的で、個性がない(皆同じことを考える)んじゃない?」という疑問。私も同様だったが、その答えが本当に自分のものであるならば、全く問題はないと思う。むしろそこで重要になってくるのが、いかにその「答え」を、パーソナルで、具体的なエピソードで綴れるかということ。

スタンフォードの青い空パーソナルで、具体的なエピソードとはどんなエピソードか。それは、本当に「答え」を煎じつめて考えたなら自動的に出てくるエピソードだと思う。その「答え」を形作ったパーソナルで具体的なエピソードである。母親や父親の育て方からくるものだったり、小さな頃からの癖であったり、学校での出来事だったり、両親の育ちから来るものだったり、自分自身のコンプレックス、トラウマであったり、心に刺さる大きな出来事であったり。それらを具体的、主観的、情緒豊かに(not 抽象的、客観的、論理的)に描いていくことが大切である。結果として、その人がその「答え」を抱えるに至った立体的で広がりのある景色が見えてくることが重要だと思う。例え煎じつめた「答え」がありきたりなものに聞こえたとしても、それが本当の自分自身であるならば、「答え」を取り囲むエピソード群が、エッセイを個性的で、魅力的で、説得力溢れるものにするのだと思う。

ちなみに、コアとなるものは、価値観であっても、インパクトの強い具体的な出来事であっても何でもかまわないと思う。「あなた」を語る上で、欠かせない何かを、個人的で具体的で、情緒的な形で明確に提示できることが大切だと思う。

2.「根源的な価値観 & エピソード」が、「過去 → 現在
 → Stanford GSB → 将来」という流れと整合するように微調整すること

根源的な価値観を問い詰めきった結果、「あれ、俺ってビジネスやりたいんだっけ?」なんてことになってはショウモないが、意外にも、なりがちだったりもする。「本当にやりたいこと」と、「実際にできること & 食べていくためにやらないといけないこと」 とのハザマで中で我々は人生を送っている訳で、本当に自分の価値観、モチベーションの根源を突き詰めれば、意外とこれまでの「キャリア」と整合しないことは大いにありうるし、別に恥ずかしがることでもない。

ただ、エッセイは4本のエッセイを読み終わった後の「全体の印象」が非常に大切である。4本のエッセイの作成に2ヵ月かけたとしても、担当官は10分で読み終わってしまい、その一読が運命を左右する。あとのエッセイで触れることになるキャリアゴールやwhy Stanfordなどと一貫性がなくバラバラな印象を与えてしまっては、全体の印象は非常に悪くなるだろう。最初のエッセイで提示した非常に個人的で根本的なエッセイが、うまくのちのエッセイと調和することが大切である。

芝生に水着で寝そべる学生もし、ありのままの根源的な価値観がうまくキャリアゴール、why Stanfordとつながるのであれば、それほど素晴らしいことはない。ただ、多少つながりが悪い際はどうするか。ひとつには、「根源的な価値観」の描き方の角度を変えてみること。根源的な価値観は、抽象的な価値観である故、比較的描き方によって融通が効くものである。または、そのような根源的な価値観を抱きつつ、現在のキャリアを選択するに至った理由づけを明確にするなど、いろいろとお化粧を変えて見て、座りがいい形にすることである。逆に、仮に根本的に内容を変えないとどうにもキャリアゴール、why Stanfordとつながらないとすると、キャリアゴール、MBAへの応募自体が本当に自分のやりたいことなのか、もう一度考えてみた方がいいという信号と見ることもできるかもしれない。

いずれにせよ、ほかのエッセイも意識した上での「微調整」が、非常に大切になってくると思う。この冒頭の設問は個人的な思い入れが強くなりすぎたりする傾向のあるエッセイなので、ほかのエッセイ(往々にして他の学校からコピペが可能な設問)との温度差、印象差がないように、注意して全体を微調整してやることだろうか。

いずれにせよ、1番目のポイント、”最も「自分」を突き動かしてきた根源的な価値観・原体験を、パーソナルで具体的なエピソードで綴ること”というのが第一に大切なことだと思う。私の場合、どこまで実直に自分の想いを書いて、どこからマーケティング的な観点からお化粧を施そうか悩んだりもしたが、結論としては、本当の自分を力いっぱいぶつけて落とされたなら、運の要素も強いので納得できるという思いにいたり、決して誇張や過度な装飾を施さずに、多少無骨に思えても、多少恥ずかしくなるような言葉になっても、そのまま書ききるように心がけた。正解、王道が分からない設問だからこそ、下手に「正答法」を模索し、悩み、時間を割くよりは、自分に正直に、ありのままの自分をエッセイにぶつける方が結果的によいものを書ける気がする。

スタンフォード正門より(パームドライブ)そして最後になるが、残念ながらアドミッション・プロセスと運は切っても切れないものである。いくら最高のエッセイを書いても、最後はアドミッションオフィスの「アート」の領域に入る選定プロセスにかけられてしまう。同じような印象を持ったエッセイが、近隣の国など似たバックグラウンドの学生間でかぶってしまえば、素晴らしくても落とされてしまうかもしれないし、こればかりは何とも保証しえないものである。上記の2点を踏まえた自分の中での最高のエッセイを提出して、あとは結果を待つのみ。仮にダメなら、こればかりはスタンフォードの見る目がなかったと思う以外にないと思う。私は偶然にも、その当たりくじを引かせていただいた幸運な者なのであって、決して他の応募者と明確な差があったとは思っていない。

以上、私が感じる「what matters to you most, and why」エッセイへの取り組み方でした。偶然こうしてスタンフォードで学ぶ機会をもらえた者として、あと1年強、しっかり学んで来たいと思う。

/////////////// ( 補記 ) /////////////////////////////////////////////////

他スタンフォード合格者より、いくつか名物エッセイの書き方について追加コメントをもらったので掲載しておきます。

上記ポイントに加え、質問に「正面から回答すること」、ただし「典型的な回答は避けること」が大切。「世の中の役に立つこと」という典型的な回答を避けたこと、「自分なりの人生を生きること」という正面からでない回答を避けたこと、が良かった。

また、『最も「自分」を突き動かしてきた根源的な価値観・原体験を、パーソナルで具体的なエピソードで綴ること』という箇所について、その際には「エッセイがスムーズに流れること」、「面白くすること」が重要。自分のマーケティングを重視すると、「根源的な価値感」と「個々のエピソード」とのつながりが上手くいかず、エッセイがスムーズに流れていかないことがある。自己陶酔に陥らずに、第三者の目で自分のエッセイが「わかりやすく面白いか」を厳しく見ることが重要。


また、名物エッセイの書き方以外も含め、スタンフォード合格に関して詳細に解説をしたblogのリンクを以下に貼っておきます。
http://stanfordmba-lawyer.blogspot.com/2008/05/stanford-mba-8-1.html
http://stanfordmba-lawyer.blogspot.com/2008/07/mba-142.html
Stanford最近日本では、理系の一流人材がコンサルティングや投資銀行に就職したがるようになっていると聞いた。たしかに前職の経営コンサルティング会社でも、多くの理系の院卒の優秀な方がコンサルタントとして活躍していた。経営コンサルティングや投資銀行などの職種に優秀な方が応募してくれるのは嬉しいことである反面、日本の長期的な人材配分を考えると、多少危機感を抱く。

アメリカでは平均給与を見るとこの傾向が明らかである。ファイナンシャルセクターの給与の高さと、技術職の給与の差が顕著である。ファイナンシャルセクターでは、トップ25ヘッジファンドのマネジャーが200億円以上、PEのパートナーが10億円以上、あるPEに就職したStanford MBAの学生の初任給が3,000万円といった水準の中、技術者の院卒の初任給は、一流大学を出ていても数100万円。日本でも、高い給与を提供する業界が出てくるに従って、ここまで行かずともその差は大きくなってきている気がする。

製造技術、高度な設計技術というのは今後も日本の強みの1つになっていってほしいと願う。製造業を退廃させ、コンサルティング・金融などのサービス分野だけで国として食っていこうというのは、日本の場合は相当難しいだろう。金融やコンサルティングができるのは、所詮、一流の技術者やアイディアに資金を提供したり、探しだしてうまくビジネスとして仕立てたりすることに他ならない。アメリカのように他国の一流人材を流入させて活用できる(またはしたい)ならともかく、そうでないならば、一流の理系人材が技術を離れコンサルティングや金融に就職したがるようになっているのは多少不安な現実である。(社会をどう作っていくかという視点に立つと、アメリカのファイナンス業界の人は給料をもらいすぎていると思う。。。アメリカでは、ベンチャー、Google等の大手IT企業など理系学生が華々しく活躍できる場が日本よりも多いため、単純な給与格差だけで理系離れを指摘できないが、活躍の場が少ない日本の土壌でさらに給与格差が開くと、さらに理系離れを進めてしまう気がする)
Palo Altoさて、先日紹介したGSBのUnofficialメールで、チベットに関するふとした議論があった。あるインド人学生が、ダライ・ラマを支援する署名を集めるサイトへの協力メッセージをunofficialに流したところ、何人もの中国人から抗議のメールが。中には3スクロール分くらいの長いメールを送ってきた中国人もおり、ほかの国の学生も巻き込んでちょっとした議論になった。結局、日を改めて、お互いの理解を深めるための議論会を開催しようということで片がついた。それにしても、普段、中国人は1対1で接していると、本当にいい人だなーと思ってしまう人も多いのだが、そんないい印象を持った友人たちが、メールで驚くほど鋭く、厳しく反応しているのを見て、ちょっとびっくりした。

チベット問題の討論会は、1週間後にビジネススクールの寮のあるラウンジで開催された。5,6人のパネリストに、20人弱の聴衆。最初にメールの発端となったインド人と中国人が簡単にプレゼンをし、議論が開始した。

パネリストの2人の中国人が、興味深いことを話してくれた。1人は、中国で生まれ育ち、イギリスの大学で学び、その後イギリスで働いていた女性の方。彼女はイギリスに初めて渡った時に、初めてチベットが海外で議論になっていることを知ったという。イギリスの友人から初めてチベットの問題に関する意見を振られたときは、正直「チベット?え?中国の一部でしょ?何が問題なの?」といった反応しかできなかったという。それ以降、海外のメディアなどの報道と中国で自分が学んできたことのギャップに関する興味が大きく膨らみ、このチベット問題を含め、多くの問題を自分で勉強するようになったという。彼女はその後、こういった対立問題を見る際には、常に第三者の記述、第三者の学術論文など客観的なソースから情報を得るようにし、そうでない場合も情報ソースがどちらサイドにバイアスがかかっているかを考えるようになったという。

もう1人は、スタンフォードに来るまで中国で生まれ育ったドメスティック中国人。彼はインド人のメールに最も鋭く反応した1人だった。彼は自分自身がメールで鋭く反応してから、この討論会を迎えるまでの1週間、まさしく中国人の彼女がイギリスで経験したプロセスを経験したという。いろんな国の友達と話をし、図書館やネットでいろんな情報を検索し、今まで自分が「当たり前」として、全く疑いもしなかった(意識さえしなかった)”事実”が、実は一つの見解であることを知ってショックを受けたという。彼は当日はメールでの彼と打って変わって、非常に慎重で両サイドの見解に気を配ったコメントをしていた。彼にとっては、そこに至るまでにいろいろと複雑な思いをしたことだろう。

特に中国のように今後大きな力を持つだろう国の、将来比較的国内でも活躍するだろう若者が、こうやってアメリカに来て自分の国を相対化していくというのは、非常に有意義なことだと思う。彼のように、アメリカのコンサルティング会社の中国オフィスで働いていた知的でフレンドリーな若者ですら、チベット問題が国際的に話題になっていることすら気付かなかった、というのは、個人的にも「やっぱりね」という感じであった。

Nankingただこれはお互い様で、韓国や中国の友人と話をしていて、日本の話題になるといろいろと戦争問題等、釘を刺されたりするが、大方の日本人は日本が中国や韓国で何をしたかなど全く知らないというのが現状であろう。昨年の12月にニューヨークに学校の行事で行った際には、同行してくれたスタンフォードの教授がオスカー賞受賞映画監督(Bill Guttentag)だったので、彼の最新作である「南京(Nanking)」というドキュメンタリー映画を監督と一緒に観に行った。日本軍が戦時中に南京でしでかした様々なことを、当時の軍人や被害者の証言で綴っていくものなのだが、観る前の私の南京問題に関する意識としては、「南京大虐殺、南京での日本軍の悪行はあったのだろうけど、それを過大に教育し続ける中国にも問題があるし、向こうの反応も過剰な気がする」という程度だった。上映中の最初の私の素直な反応も、「確かに事実なのかもしれないけど、戦争でいろんな国が敵国で残酷なことをしているにも関わらず、南京に焦点を絞って日本が唯一の悪者のように見えるドキュメンタリーが公開されているのは、多少違和感を感じる」というものだった。しかし、映画が進み、最後に映画の監督、中国人の友人と映画の上映後に顔を合わせてお茶(コーラ)を飲んでいるうちに、やはり、加害国の当事者としては相手の立場を考えるとそのようなコメントは口に出せないし、多くの戦争映画が戦争の悲惨さを描いているように、日本軍の行為もどこかで描かれないといけないのだな、というような気持ちに変わっていった。

環境に人は染まる、というが、それはどんなに意思が強い人でも多かれ少なかれ同じだろうと思う。(むしろ自分は意思が強いと思いこんでいる程、影響に気づかないので怖いのかもしれない)。同様に、情報への接触の在り方も、人の考え方を大きく規定してしまう。海外に来て、これまでとは違った角度での情報に触れ、我を振り返る経験というのは、特にドメスティックな各国の学生にとっては海外留学の一つの大きな経験なのだろうと思う。
StanfordOperationの授業で、面白いグループワークがあった。Operationの授業では、多様な生産システムや、在庫のマネジ方法、待ち時間のマネジ方法などいろいろな内容を講義・ケース・グループワーク形式で学んでいくが、その中で、コンピューター内の電子部品工場を、3人のグループでマネジするというシミュレーション・ワークがあった。

コンピューター内の電子部品工場では、仕入の数、発注タイミングから、生産設備の増設・売却、生産の手順変更、顧客との販売契約等、いろいろな要素を変更することができる。工場はシミュレーション上の1日を1時間としてリアルタイムで稼働し続け、合計で10か月弱の間稼働し続ける。チームは最終的に工場が稼ぐキャッシュを最大化することを目的に、需用の予測、在庫レベルのチェック、顧客へのリードタイムの点検など、工場の状況を点検しながら運営をしていくのだ。

品質に関しては何も気にすることもなく、極めてシンプルなモデルではあるが、クラスで学んだいろんな理論を、現実に近いリアルタイムの状況の中でいろいろと試し、修正し、実践していくという意味で、すごくためになったし、面白かった。夜中の2時3時に、チームメートから緊急で電話が入る。

「第3設備の稼働が数日(数時間)連続で100%を超えてしまって、設備の前に在庫が積ってしまっている。このままだと顧客に商品を間に合わせられない。臨時で設備を1つ増やした方がいいのではないか。」

「顧客からのオーダーが急激に増えている。予想よりも相当増えているけど、これってトレンドかな。それとも一時的な急増かな。それによって今すぐにでも発注を変えないといけないんだけど、どうしよう。」

「顧客に3日で届けるという契約をしているのに、届けられていないケースが増えてきている。違約金を含めると、十分に利益を挙げられていないようだから、契約条項を今すぐにでも変えた方がいいのでは。」

こんな電話・メールがお互いからあるたびに、トラブル対応の議論をしたり。授業で単純に理論を学んだり、ケースを議論したりするだけではなかなか理解しきれなかったいろんなコンセプトが、このグループワークを通じてよくわかるようになったと思う。夜中にシコシコと在庫の計算をやり直したり、需用予測に応じて設備投資のタイミングを計算したり、繰り返し、必要に迫られてコンセプトを実践できたのがよかったと思う。

ソフトウェアを使った教育で、これまでものすごくよかったという授業は受けたことがなかったのだが、これはうまくソフトウェアの特徴を使って実践的に理論を体得できる、よい授業の例だろう。ちなみに我々の工場チームは、設備投資を渋って需要に十分対応できなかった痛手が響き、全体の50チームのうち、真ん中くらいの順位であった。これから、シミュレーションを振り返っての分析レポートをチームで書くところである。
お花Stanfordのビジネススクールの学生間で、GSB Unofficialというメーリングリストがある。学生間のイベントの宣伝や、探しもの、お願いごとなどいろんな内容がメールで飛び交い、メール数は1日で60~80通にも上る。主な内容は、

・車への同乗依頼
ビジネススクールの寮に住んでいる人の中には、車を持っていない人も多い。パーティやイベントがあった際に、Palo Alto、San Francisco、空港などに行く人を探して、car poolさせてほしいといった依頼は頻繁に飛び交っている。
・イベントの宣伝
各国の学生が料理を持ち寄るディナー、政治問題の議論会、学生が自分の人生を語る会、などなど、毎日数多くのイベントが様々な学生によって企画されている。
・探しもの、お願い事
パーティーでネクレスを落とした、友達が部屋に泊まりに来るのでクッション・ベッドを持っている人はいないか、バターがなくなった、誰か持っていないか、など。

さて、そんなGSB Unofficialで、「日本ではこういうことはないなー」と衝撃を受けたメールを2件ほど。

1件目は、バレンタイデーに起きた事件。
ビジネススクール寮の男性の有志8人が、寮のすべての女性の部屋の前にワイングラスにチョコレートとキャンディを入れたものを早朝に置いて回った。当時の朝、誰がプレゼントを置いてくれたのだろう、などとウワサが回っている中、GSB Unofficialに「この8人が計画してくれました」、というメールが回ってくる。そのメールに対してメーリングリスト上で多くの女性が感謝の意を表している中、とあるメールが舞い込んでくる。
「私の部屋の前にはプレゼントがなかった」
おっと、これは8人の男性諸君のミスに対する抗議だろうかと思いつつ、名前を見ると、男性からのメール、いや、ゲイのクラスメートからのメール。それに連鎖して、数名のゲイから「私の部屋には男性からのプレゼントがなかった」と抗議メール。自分はゲイだから、自分の部屋の前にもプレゼントを置いてほしかったとのことだろうが、しかしねぇ。。。 誰がゲイかなんて皆そんなに知らないだろうし、そこまでアピールしなくても、などと思ったが、彼らにとっては社会的地位の確立のためにも大切な活動なのであろう。アメリカらしいというか、カリフィルニアらしいというか。

2件目は、別れ話。
先日突然、MBA2年生のある女性からメールが舞い込んできた。タイトルは、「Break up」。
「最近どうやってもあなたにコンタクトをすることができないから、こんな方法で伝えたくはなかったけど、ほかに手がないのでメールを流します。」
との出だしで始まり、同じMBA2年目のとある男性への別れ話。男性に連絡をしようとしても電話にも出ない、メールにも返信しないということで、仕返しといった意味合いも込められているのだろうか。。。2年生はそろそろ2年間が終わり、それぞれの職場、国に戻っていくということで、ビジネススクール内カップルにもいろいろと変動が起きているのだろう。それにしても公のメーリングリストにこんな話を流すなんて、ちょっと衝撃である。

そんな訳で、普段は平和なGSB Unofficialですが、ちょっと衝撃を受けた例のご紹介でした。
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。