Stanford MBA 心の旅路

Stanford大学でのMBA(Stanford GSB)留学に奮闘する、外資系経営コンサルティング・ファーム勤務の若者の心の日記blog。 コンサルティングの仕事、MBA受験からスタンフォードGSB合格、スタンフォードMBA生活、帰国にいたるまで。

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Bon JoviとRichie Sambora先日、Bon Joviのコンサートに行ってきた。車で30分ほどの位置にあるSan Joseにてコンサートがあるということで、せっかくなので友達といい席を予約。Bon Joviは私が中学、高校の時に聞き親しんでいたが、気がつけばすでに40代後半のおじちゃんバンドになっている。

何度かblogで書いてきたが、アメリカでいいなぁと思うのは、コンサートホールが比較的小さく、アーティストとの距離が近いこと。今回もステージ脇の前から2列目の席を確保したが、そうでなくて最後列の席でも、肉眼で彼らが十分見える程度の大きさのホールであった。

さて、結果は大満足。コンサートは合計3時間近くに及び、われわれの席の目の前のサイドステージでも曲を披露してくれ、手を伸ばせば届きそうな距離にBon Joviがいるという、素敵な経験をさせてもらった。ただ、やっぱりおじちゃん。顔の皺は深く、笑顔は柔和になっていた。当日デジタルカメラを落として壊してしまい、携帯のカメラでしか撮影できなかったのが何よりも残念。普通のカメラであれば、顔のシワまでしっかり撮れただろうに。。。しかし、疲れた。3時間近くにわたって休みなしに曲を演奏し続ける彼らには脱帽である。後半、ついに音量で頭が痛くなり、しばし休憩をとって席に座っている自分に年齢を感じたりするのでした。(Bon Joviより若いはずなんだが。。。)

コンサートを通じて1つ感じたのは、彼らはプロのエンターテイナー(>アーティスト)だなぁということ。普通、コンサートをやっていくと、アーティストは同じ曲を何十回も歌うのに飽き、だんだんとアレンジを加えて行ってしまい、CDの通りの曲を期待していったファンはアレンジしすぎた演奏に不満足感を抱えてしまうケースがある。ただBon Joviは、きちんとCD通りの演奏と歌を披露し、かつ、3時間を通してエネルギッシュに観衆を楽しませようとし続けていた。彼らにしてみれば同じ曲を同じスタイルで演奏しつづけるのは退屈だろうが、お客さんの期待にきちんと沿ったものを提供する、という意味で、プロのエンターテイナーだな、と感じた。

ステージの全景2つ目に感じたのは、コンサートの商売としての完成度の高さ。われわれの席はサイドステージの目の前なので、1人250ドルとべらぼうに高かったのだが、ちゃんとサイドステージに来てしっかりとファンサービスをしてくれる。且つ、コンサートの中頃で、VIPチケットを持った人々がこっそりと警備員に引率され、ステージの上(といっても横だが)に案内され、20分ほどBon Joviと同じ視線でコンサートを楽しむという仕組みも用意されていた。コンサート中に、20人前後のVIPチケットを持った観客が、3~4回ほど入れ替わり引率されていた。それから前回行ったサーカスでもそうだったが、VIPの観客はオードブル、ワイン・カクテルなどを飲み放題のVIPバーで開演までの時間を過ごしていた模様だ。それから舞台の後ろ側に座っている観客もちゃんとショーを見られるように、たびたび舞台が大きく展開し、普段は視界を遮っている巨大モニターや飾り付けが変形し、後方の人たちがショーを楽しめるようになっていた。その際には、Bon Joviも後ろを向いてパフォーマンスをするなど、会場の各ポジションの人たちがそれぞれ楽しめるように、周到に設計されているなという印象を持った。途上国から来ていた友達の一人は、舞台の壮大な展開に大きなショックを受けたみたいだった。

今週の金曜には、再び友達とミュージカルを観に行ってくる予定だ。ニューヨークのように、いつでもそこでショーがやっている、という状態ではないが、サンフランシスコやサンノゼには定期的に有名なミュージカルやアーティストが来るので、それを見逃さなければ相当いろいろなショーに触れることができると思う。これからも、機会を見つけていろいろと「いいもの」を体験してきたい。
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マイアミの湿地帯にてEthicsの授業で、有名なフリードマンの論文を読んだ。企業の社会的責任は、株主への利益を最大化することだという、アメリカの株主資本主義の考え方を支える大きな柱となっている思想だ。私はこの考え方には否定的だが、アメリカらしい考え方なので、簡単に紹介したい。

フリードマンは、「企業の社会的責任は、株主への利益を最大化することであって、社長・重役・管理職・従業員などの企業サイドの人間が、株主への利益還元以外の社会的貢献を考えるのは筋違いである」と論じる。その理由として、フリードマンはおもに3つの理由を挙げている。


1.株主のお金を使って、株主が欲しない社会貢献を考えるのは泥棒と同じ
企業は株主のものなので、株主への利益を最大化するのが企業の役割。社会貢献にお金を使うのは個人の自由だが、それは企業活動の外で個人的にやるべきであって、企業として株主(他人)のお金を使って社会貢献(温暖化対策、地域の雇用確保、貧困解決への寄付など)を行うのは筋違いだと論じる。逆に、株主の意思が明確で、株主の目的が完全に社会貢献であるなら、企業は社会貢献を行うべきだと論じる。ただし、通常の複数株主を持つ営利企業であるならば、お金の出し手である株主により多くのお金を返すために企業活動を行うべきであって、勝手に余剰利益を使って株主以外にお金を提供するのは背信行為である。社会貢献は、企業での労働とは別に企業の外で個人が個人の意思で行うべきという考え方だ。

2.社会福祉実現のための資金源として政府が使う税金があるのであって、企業側が重複して「税金」(=社会貢献)を納めるべきではない
税金という仕組みは、政府が企業から利益の一部を取り上げて社会福祉実現のために使うという仕組みである。税金の調達と政策の実行は官僚組織が行うべきであって、企業は利益を稼いで税金を納めるのが役割分担である。企業側が利益を社会貢献に投資するのは、この原理を壊す考え方であり、本来税金に回るはずの余剰利益を企業が勝手に使いこむのは非合理的である。税金を社会福祉のためのコストを税金とするならば、企業は二重に税金を支払っていることになり、それは株主価値最大化の観点からも、政府と企業の役割分担の観点からも理にそぐわない行為であると論じている。

3.企業人は自社について長期的視野で考えるのは得意だが、社会貢献など外部環境について考えられる能力を備えていない
企業というものは自社内については極めて長期的、合理的に物事を見て考えられるが、社会全体の問題を長期的、合理的に考える能力は極めて乏しい。そうだとすると、企業は自社の株主への利益最大化だけをしっかり考えるべきであり、社会全体の問題に手を出そうとすべきではないと論じている。

スタンフォードにてこれらの考え方の大前提となっているのは、企業は株主の持ちモノで、企業経営の目的はお金を提供してくれた株主に最大限のお返しをするというものだ。この前提があるからこそ、株主が欲しない社会貢献を勝手に考え、株主への利益を減少させるのは「背信行為」ということになる。また、アダム・スミスの唱えた「神の手」理論がある故に、企業が株主利益を最大化しようと努力すれば、結果として社会全体の福祉に貢献する(神の手が調整してくれる)ということになっているのだ。

アカウンティングやファイナンスの授業の中でも、この考え方が理論のベースとして取り扱われる。「企業は株主の持ちモノである」という考え方を前提として、その上にいろんな理論を学んでいくのだ。「こういう考え方もある」ではなく、「企業は株主のものである」という断定調・事実調で授業が進むものだから、特に疑問を抱かない学生は「そんなものだ」と洗脳されてしまうだろう。最近チベット問題を中国人学生と議論した際にも感じたのだが、教育というのはパワフルだなぁと思う。

企業は誰のもの?企業の目的は何?
「企業は株主のもの」「企業の目的は、株主価値を最大化すること」というのがMBA的な模範解答であろう。ただ個人的には、「企業はステークホルダー全員(従業員、顧客、地域住民、サプライヤー、管理職、重役・社長、株主等)のもの」であり、「企業の目的は、ステークホルダー全体の利益をバランスしながら社会の発展に寄与すること」という方がピンとくるし、美しいと思う。日本の企業経営が、このような企業経営だとは言わないが、アメリカ型の「株主価値最大化経営」に比べると、もう少し「あいまい」に、各者の利益のバランスを取りながら会社の舵と取っているように思える。

ニューオーリンズの被災地域株主は基本的には会社の具体的な経営には興味がなく、むしろ短期的なリターン向上に魅力を感じる傾向が強いだろう。従業員の給与を削り、株主利益のためにバサバサと解雇をした結果、従業員のモチベーション、ロイヤリティ(&生活安心度)は非常に低水準のものになるだろう。株主価値を毀損すると計算されたプロジェクトには投資をせず、また長期的・不確実な分野に投資をするよりは自社株買い、増配をして株価を吊り上げた方がよしとされる。ファイナンス理論や人間の脳みそはそんなに未来を精緻に計算できるほどよくできてはいないので、結局企業が本当に継続的に成長していくには、ある程度「不確実だけど長期的には花を咲かせるかもしれない」分野にも種を捲いておくことが重要だと思うが、この株主資本主義は、短期的な経済利益を株主に還元することに重点を置く結果、長期的、不確実な投資は削られ、企業はますます「効率的」な姿になっていく。株主への利益還元で株価が上がれば、株主のみならず、経営者も膨大な利益を得ることになる。経営者も、将来の経営者候補(MBAに来るような人たち)も、数年で企業を辞めることを前提に、自分がいる期間に短期的に株価を上げるような努力をし、またはレジュメにいいことが書けることだけを考え、職を転々(キャリア・アップ)とする。いくら株価が継続的に上がっても、いくら企業が財務上「効率的」になっても、従業員のモチベーション・文化・スキルや長期的投資といった将来につながる本質的な部分をおろそかにしているならば、継続的に企業・経済が成長し続けることは難しい気がする。

アメリカに来て、シリコンバレーに来て、スタンフォード・バブルの渦中で「株主価値最大化経営」を学び、体験する中、また一方でニューオーリンズのような貧富の差を見て、カリフォルニアでもいろんな「スタンフォード外」の一般人と話をする中、多少突拍子もないが、もう一度、日本の中堅中小企業がなんとなく実践しているような「ステークホルダーの利害をバランスさせる経営」のモデル化、見直しが必要な気がしてきている。
South Beach先週末、フロリダに遊びに行ってきた。マイアミのサウス・ビーチと、マイアミから1時間弱北にあるFort Lauderdaleに行ってきた。初めてのマイアミ観光だったが、とにかく「魅惑のサウス・ビーチ」である。昼間は美しいビーチ、夜は深夜まで開く繁華街に夏らしくドレスアップした若い男女であふれかえり、しかも皆スタイルがいい。その様子にちょっとショックを受けてしまった。

一方のFort Lauderdaleは、Palo Altoに似て、学生の町の模様。家族持ち、老人なども多く、非常に落ち着いた雰囲気の町である。アメリカ人の友人に聞いたところ、マイアミと言えば、春休みにアメリカ中の学生が「パーティー」をするために押し寄せる場所で、周辺の大学生や若者も、週末にはドレスアップして街に繰り出し、お酒を飲むなり、何をするなり、テンヤワンヤのパーティーが行われる街だという。あまりそれを知らずに行ったので、その熱気に多少びっくりしてしまった。
それからもう一点感じたのは、アートの店が多いこと。絵画や美術品が、ショッピングモールのいたるところで販売されている。私は絵なども好きなので、こういった芸術が街にあふれているのはとても羨ましく感じた。
あとは、日本人の居住者が少ない地域であるにも関わらず、日本料理屋、日本関係のデザインが多いこと。特に寿司は受け入れられている模様で、いくつかの寿司屋を覗いてみると、メキシコ人や黒人の方が寿司を握っていらした。そして和風のデザイン(見返り美人の絵や、日本語入りのTシャツなど)がよく目についた。ふと入ったショップで、「NYC Sushi Bar寿司棒」という胡散臭いけどおしゃれなシャツがあったので、思わず買ってしまった。

South Beach南国のビーチサイドは潮風の影響があるので施設をきれいに保つのが大変だと思うが、マイアミに来てびっくりしたのは、街がきれいなこと。きれいな芝生、きれいなレストラン、ホテル、ショッピングストア。サウスビーチ湾岸の有名人豪邸ツアーというチープなツアーもあるほど(当然行かなかったが)、アメリカでは屈指のリゾート地でもある模様。同じアメリカ南東部でも、ニューオーリンズとは大きな違いである。

そんなわけで、たわいもない週末レポートでした。
Holi!4月頭に、インド人のクラスメートと一緒にスタンフォードで行われた「Holi」と呼ばれるインドのお祭りに参加してきた。毎年3月末頃に行われるらしいこのお祭りは、インドの中でも重要なお祭りで、春の訪れを祝うお祭りのこと。どう祝うかと言えば、写真をご覧の通り。友達も見知らぬ人も見境なく、色のついた粉や色水を掛け合い、祝い合うという刺激的なお祭りなのである。インドの中でも重要なお祭りらしく、スタンフォードには周辺からうようよとインド人が詰めかけ、見物客の非インド人も巻き込んで大騒ぎになっていた。

会場につくや否や、知らない人から「Happy Holi!!」という掛け声を受け、笑顔で振り返った顔面に粉の塊を食らう。口に入った粉をウエ、ウエ、と吐き出しているスキに、クラスメートが色の粉で頭をマッサージ。なるほど、これは容赦ない。そんな訳で、それからは激しいインドのダンスミュージックにあおられるように、色の投げ合い(&泥への落とし合い)に身を投じていくのでした。
Holi!

それにしても、インドでは重要なお祭りと聞いていたので、数人のクラスメートにHoli祭の由来を聞いてみると、誰も答えられないのにびっくり。

「たしか何かの神様が戻ってきたのを祝う祭りだったと思う。」

「なんか、いつもみんなで盛り上がっているから、由来とか考えたことないや。」

一応ヒンドゥーのお祭りらしいのだが、常々ヒンドゥー教は「おおらか」だと感心してしまう。インドはクラスメートと話をしていても、年功序列等いろいろな意味で非常に昔の日本に近いようなコンサバな印象を受けるが、一方で、こういうエネルギー直情発散系のお祭りがあるのは日本との違いな気がする。Holiは別名、Festival of colorとも呼ばれるらしいが、色のついた粉や水を、知らない人同士、違うカースト同士、違う年代同士で容赦なく投げ合い、ダンスミュージックで大いに盛り上がる。社会はコンサバでありながら(カースト制度も含め)、ところどころでエネルギーを発散できるような場が設けられているのかなぁなどという印象を持った。

Holi!Holi!
いずれにせよ、この日来た洋服は完全にダメになってしまった。それから友達の車に乗せてもらって大正解。友達の車はまんまと色だらけに染まってしまい、数週間たつ今も、その色あとが落ちていない。とっても楽しかったが、代償も大きかった、そんなインドのお祭り体験談でした。
ビジネススクール前にて先学期のAccountingの授業は、おそらく私よりも若いのではないかと思われるくらいの女性の教授が担当をした。基本的に、基礎コースを取ると若めの教授が基礎的なことをしっかり教え、応用コースを取ると名物教授、年配教授が旬な話題や突っ込んだ話題を掘り進んでいくというような構造になっているが、今回のこの教授がビジネススクールで教えるのが1年目という、まさしく若き教授。

コラボレーティブなスタンフォードと言えども、授業の最初はこの若い教授に対して懐疑の目が向けられた。「本当にこの人ちゃんと教えられるのか?」といった感じで、たまに意地悪な質問が飛ぶことも。小柄で細身な、東ヨーロッパ出身の彼女だが、彼女はうまく試練の日々をくぐりぬけ、そうして授業の後半には、ついにはクラス全員で彼女の誕生日を祝うほど、生徒の信頼を獲得したのだ。

彼女が疑心暗鬼の状態からいかに信頼を勝ち得たかと考えてみると、第一は、やはり内容。いかに見た目が幼かったり、しゃべり方が頼りなさそうだったりしても、繰り返し生徒の質問に答える中で、彼女はやはりしっかりした実力と教える力を持った教授だということが、次第に分かってくる。第一印象のディスアドバンテージを、時間とともに覆していくプロセスだ。当たり前だが、内容の良さ、実力の存在、これが当然の第一条件となると思う。

第二は、繰り返し柔和な姿勢で応え続けること。いかに生徒が嫌みな質問をしたり、授業で触れた内容を何度も質問する生徒がいたりしても、柔和な姿勢、真摯な姿勢、一生懸命応える姿勢、誠意を込めた姿勢を崩さずに継続すること。この謙虚な姿勢が次第に生徒の中に、「逆にあんな質問をするなんて、教授がかわいそう」といったモメンタムを生み出していった。授業の半ばになると、いつも嫌味な質問をする生徒が再び重箱の隅をつつくような質問をした途端、クラスから失笑とブーイングが上がるようにまでクラスの雰囲気は変わっていった。一生懸命対応しようとしている人にムチを打ち続ける人は少ない。繰り返し柔和な姿勢で辛抱強く応え続けることが、とても大切な気がした。

第三は、チャーム。彼女は、最初こそ緊張していたものの、次第にクラスも彼女を受け入れるようになるに従って、リラックスをしていった。大学時代に演劇を教えてもらっていた座長さんが、「人は心を100%解放した時こそ、最も個性を輝かせる」と言っていたが、まさにその通りで、リラックスをしてから彼女独特のジョークのセンス、おどけて生徒を笑わせたりと、彼女らしさが自然と表現されるようになった。このチャームが信頼獲得に果たした役割も大きい。いくら実力が最高で、柔和な姿勢を取り続けていても、面白味が全くない人物だったらぐっと観衆の心をつかむことは難しいだろう。

最終回の授業では、「ビジネススクールでの最初のクラスなので、みんなの1人1人の顔は一生忘れないと思う」と、涙ながらのコメント。若くして年配の方々に信頼していただかなければならない経営コンサルティングの仕事(ほかにも同様の仕事は多いだろうが)では、当初私は「若さをいかに隠し、背伸びをして信頼してもらうか」というアプローチを推し進めていた。当時のボスから、「背伸びしても無理だよ。まだ経験がないんだから。逆に若さとやる気を押し出して、もっとお客さんの懐に飛び込んでかわいがられるようにした方がいいんじゃない?」というアドバイスをいただいたことがある。実力がないうちは、実力の変わりに若さ(体力?)とやる気を押し出していくしかないケースもあるだろう。また、若さを覆す信頼獲得方法は上記以外にもいくつかあるだろう。ただ、今回一つのベストプラクティスを経験させてもらえた気がする。初々しい教授の精一杯の姿勢から、何か大切なものを感じさせてもらえた、素敵なクラスでした。
ビジネススクール前の噴水さて、春休みが終わり、気がつけばスタンフォードの新プログラムの授業も3学期目、春学期の授業が開始した。先学期の冬学期についてはあまりレポートをしてこなかったので、ここで先学期の冬学期を振り返り、簡単に感じたことを書きとめておきたい。

以前書いたように、先学期、私は6つの科目(すべて必修)を履修した。

・Accounting
・Marketing
・Modeling
・Data and Decision Making(D&D)
・Ethics
・Micro Economics


スタンフォードの新プログラムでは、それぞれの必修コースでレベルや内容を学生の興味・バックグラウンドによって選択できるようになっている。私は、カウンセラーの教授と相談の上、英語のハンデ+授業以外にいろんなことを経験して幅を広げたい、ということで、すべて基礎的なコースを履修した。
6つのコースについて、簡単に一言ずつ感想を。

・Accounting: 満足度90点
1学期目の秋学期に、簡単な会計のコースがあったが、それを引き継いで、より1つ1つの会計分野について突っ込んで学ぶ内容。授業は週2回だが、毎回グループでの課題提出が求められる。税金、無形資産、株主資本等々、それぞれの会計の分野ごとにエクササイズが要求され、いろいろと10Kなどを紐解きつつ、4人のグループでワイワイと議論してから授業に臨む。授業では事前課題の解説をしつつ、同じテーマをもう少し複雑なケースで再度復習する。少人数で楽しくワイワイと学ぶという感じで、学生からも非常に基礎的な質問も含めてバンバン質問が出て、学生&教授で質問に答えていくといったスタイルで授業が進む。

やはり日本人のせいか、数字系はホッとしてしまう。教授もビジネススクール1年目の新米教授ながら、非常にうまく学生の信頼を獲得し、授業は家庭的な雰囲気の中、楽しく進んだと思う。個人的な学びは、ほとんどがグループワークの中でいろいろとクラスメートと議論する中で得られたものが多いが、一方で、クラスメートから馬鹿と思われることを全く恐れず、自分が知らないことは知らないと言い、学ぼうと活発に質問を発するクラスの雰囲気からも学ぶことが多かった。日本人だと、馬鹿な質問をしないようにと身構えてしまう部分もあるが、こうやってプライドの殻を破って、それぞれが得るものを得ようと、等身大で(ただ目標は高く)クラスに臨める雰囲気というは貴重だと感じた。

・Marketing: 満足度50点
マーケティングは、やはりマーケティングだ。どうしても現地の消費者感覚や、現地の常識を知らないと議論についていけないケースがたまにある。

Marketingでは、毎回ケースを議論するHBSスタイルで授業が進んだ。毎回のケースに加え、4-5人単位のグループでの「ビールのポジショニング分析プロジェクト」「ゴキブリホイホイの消費者マーケティングプロジェクト」など、複数のプロジェクトをして、レポートを書いたり、クラスでプレゼンをしたりする。

ビジネススクール学生寮の勉強部屋にて満足後が低かったのは、毎回の授業への準備時間が長い割に、議論が表面的に分散してしまうケースも多く、個人的にROIが低いと感じたからだ。毎回20ページから30ページのケースを読み、価格戦略、市場調査等、スプレッドシートを開かないといけないエクササイズが含まれている形になり、1回の授業の準備時間は、私の場合5-6時間はかかってしまう。その割に、ケースの内容が濃くて授業が90分のみなので、部分的にしか突っ込んだ議論がなされなかったり、自分が興味のある視点から議論があまり盛り上がらなかったりする。ほかの授業の準備も非常に忙しい中、だんだんとケースをさっと読んで「しのぐ」方向に走るようになってしまい、ますます授業のROIが低く感じてしまう循環に入ってしまった。

面白かったのは、2つのグループ・プロジェクト。ビールのポジショニング・プロジェクトでは、実際にPalo Altoの町に繰り出してバーのビール・プロフェッショナルにインタビューしたり、MBAの学生にアンケートを取ったり、ちょっとしたプロジェクトちっくな経験もしたりする。ゴキブリホイホイの消費者マーケティングプロジェクトでは、それぞれのチームがTVコマーシャルの叩き台を作ってお互いに見せ合ったりする中で、アメリカ人の感性や、マーケティングのティップスなどを学んでいった。アメリカでは、フットボールのスーパーボールでのTVコマーシャルが毎年非常に注目されるが、そういったコマーシャルを授業で見て、いかにそれぞれが効果的か議論する授業などでは、アメリカ人の「受け取り方」がいろいろと感じられて面白かった。

・Modeling: 満足度75点
Modelingでは、エクセルやアクセスでの基礎的なシミュレーションから、モンテカルロシミュレーションなどいろんなモデリングの仕方を学んでいく。教授が非常に面倒見のいい教授で、たくさんのレビューセッションを設け、1人1人に詳細に技術指導をしてくれる。私はコンサルティング出身だったので、ほとんどの内容はすでに知っている内容で、復習+αといった内容であったが、それでも同じ内容をいろんな人が違った角度でシミュレートしたり、また知らなかった効率的な技をいろいろと学んだり、「実務として、実際に役に立つ」勉強をすることができたと思う。

まさしく、シミュレーションの実務指導学校、といった感じで、高尚な議論はないが、教授がまさしく手とり足とり技術指導をするという、非常に効率的かつ実務的な授業内容で、シミュレーションのバックグラウンドがない人にとってはすごく役に立つ経験になったと思う。これまた多くのグループワークが課せられたが、やはり投資銀行の人のエクセル・スキルは素晴らしいなと感じた。(マウスを全く使わずにショートカットでバンバン作業をしていく様子は壮観。コンサルタントにとってもエクセルは基本技の一つだが、投資銀行にはかなわない)。エクセル術もさらに研ぎ澄まされ、一人満足気味である。

・Data and Decision Making(D&D): 満足度75点
確率、分散、回帰分析、意思決定ツリーなどを学ぶ授業。授業は基本的に講義形式で進む。正直、日本人にとっては簡単な授業であったが、文系で統計についてはそれほど詳しくやっていなかった部分が補強できば部分と、regression(回帰分析)について、コンサルタント時代に使っていたいろんな分析の学術的意味をようやく知れたあたりが学問的な収穫。

そして何より、授業の中で実際の企業とコンタクトをして、Regressionを使って企業の問題を解決するというグループ・プロジェクト(数週間)があり、これが楽しかった。グループのメンバーもよく、皆やる気バンバンで、夜中までエクセルと格闘しながら、企業担当者とのテレカンを何度もこなした。コンサルタント・バックグラウンドだった私がなんとなくグループをリードする役割を担わせてもらえたので、英語でグループをリードし、現地の企業と英語でやりとりをする経験を積めた意味で、自分としては大きな経験としての収穫になった。

基礎コースを取ったので、授業の準備は全くしなくても授業が理解でき、かつ楽しく学問的・経験的な収穫を得られたという意味で、とってもROIの高い授業だったと思う。

・Ethics: 満足度70点
講義&演習形式で、ビジネス倫理について学ぶ。ビジネス倫理というより、哲学的な考え方をいろいろと学び、それをビジネスのジャッジメントに当てはめていくという内容。教授が神経質な感じでダイナミクスに欠ける授業進行になったのが非常に残念だが、内容自体は面白かった。

冬の青空(自宅前にて)株主価値最大化こそが企業の社会的責任だとするFreedmanの思想、それぞれが自分の利益(Self interest)を追求すれが神の手が社会正義を実現してくれると考えるHobbs等の思想、関係者全体の利益最大化を考えようとするユーティリタリアン(act utilitarian / rule utilitarian)思想、結果ではなく動機や義務の全うが大切だと考えるカントの思想などなど、相当単純化して書いてしまったが、自分の倫理(含むビジネス倫理)を打ちたてる上で参考となる思想の種類を、一つ一つ学んでいった。

Ethicsの授業の考え方の基本として、自分がどんな思想にフィット感を感じるのか、今のうちにしっかりと深く考え、「自分はUtilitarian的な思考だ」「自分はKantian的な思考だ」と、自分の原理原則を打ちたてておかないと、倫理的に難しい判断を急に迫られた際に、判断する軸が分からずに、何となくその場の瞬発力で判断してしまうようなことになる。難しい判断、混乱する判断を求められた際には、自分が寄って立つ原理に立ち戻って、後々自分の判断をきちんと対外的、対内的に理路整然と説明できるように準備をするべきである、という思想に寄っている。そのため、授業では典型的な思想を1つ1つ学び、それを実際のケースにあてはめた場合にどのような判断、行動を取ることになるのか、演習形式で学んでいくというスタイルと取っている。

私自身は、Act Utilitarian(関係者全員の総利益最大化ができる選択肢を取る。自分の利益に固執しない)になりたいと願いつつ、実際はKantian(行動が起こしうる結果で判断しているのではなく、自分の動機、役割の全うなど、自分自身の内面との整合性、説明可能性で物事を判断している)的な行動をとってきていることに気づかされた。

・Micro Economics: 満足度50点
経済学の基礎について学ぶコース。こちらも基礎コースを取ったので、講義形式で、みっちりと基礎からお勉強。これも日本人にとっては過ごしやすいコース。数学的な頭の体操を沢山したが、これまでの仕事内容ともあまりリンクしない内容で、それほど興味をそそられなかった。教授は非常に教え方がうまく、経済学を始めて学ぶ私でも理解しやすかったが、ただ、他にいろいろと興味のある授業がある中で、相対的に優先度が下がってしまった。


総じて、先学期は数学的な科目(Accounting、D&D、Econ)が多かったため、私にとっては過ごしやすかったと思う。ただ反面、すべての授業で3-4人のグループを作り、それぞれのグループで授業の準備をするという設計になっていたので、とにかくグループワークが多かった。授業内でのグループワークは多いが、準備は基本的にそれぞれ別々にやっていた1学期目と比べると、その点が大きく変わっている。そのため、先学期は相当の頻度で夜遅くまで友達の家や、ビジネススクールの学生寮(Schwab)の勉強部屋で頭を寄せ合って勉強することが多かった。グループでの共同作業は、いろいろと非効率なこともあり大変だが、とりあえずいろんな人を深く知れたという意味で、とてもよかったと思っている。

そんな訳で、先学期の簡単な総括でした。
人生を語ってくれる黒人女性黒人の貧困地域にて、ホームレスへの住宅斡旋、復学支援、就労支援などをしている「Hope House」という組織の方と接する機会があった。クラスメートの叔母さんがそこで働いているということで、旅行者全員でまさしく貧困地域、カトリーナ被災地域のど真ん中にある「Hope House」にお邪魔させていただき、いろいろと貴重な話を聞かせてもらった。特に衝撃的だったのが、「Hope House」で働く2人の黒人スタッフの体験談。ニューオーリンズの貧困地域の実態と、台風がどうその地域を襲ったかがよく理解できる。

ちなみにニューオーリンズは、全米でナンバーワンの殺人発生地域である。教育水準もルイジアナ州は全米の州で下から数番目、その中でもニューオーリンズ地域は最下層ともいえる地域。また一般人が少人数で散発的にギャング化することが多く、ギャングが組織化されていないため、警察がギャングを組織的に叩けないことが治安が改善しない大きな原因だと聞いた。ハリケーン・カトリーナの直撃によって街は更なる無法状態になり、混乱下での殺人、レイプ、強盗などは目を覆うものがあったとのことだ。被災後、多くの住民はニューオーリンズをあとにするが、その際に運命を分けたのが親戚の有無だという。近隣に頼れる親戚がいた人々は親戚の保護をうけ、また被災後数年間生活を立て直す場所を得られたが、貧しく、かつ親戚を持たない人々は、被災によって厳しい現状に追い込まれたという。

Jannet(仮称)女性23歳
丸っこい可愛らしい顔の背丈の小さな黒人女性。南部訛りはあるが、比較的容易に聞き取れる程度。母親は麻薬中毒。父親は不明。妹と2人姉妹。ニューオーリンズの黒人貧困地域に生まれ育つが、14歳のころに突如母親が消失、人生初のホームレスとなる。のちに近所の人々から母親は5年間牢獄に入っていたことを聞いたとのこと。当時はガスや水道の料金をどう払うのかも知らないまま、突如妹と2人きりで取り残される。家賃、料金の滞納で家を追い出された妹とJannetはそれぞれの友達の家に別々に寝泊まりするようになる。数ヵ月後、Jannetは妊娠し、双子の子供を15歳にして生むことになったという。このような境遇はこの地域では決して珍しいものではないという。

その後双子の子供をなんとか育てるため、父親を探し、サンディエゴに住んでいることを突き止める。地域の人からお金を借りてサンディエゴを双子の子供と訪れるが、数日の滞在のみで結局追い返されてしまったという。淡々と語る彼女だが、一つ一つの出来事が非常に心に刺さる。いったいこれらの出来事をどのように受け止めているのだろうか。

ニューオーリンズに戻ってきて、途方にくれてなんとか生活を続ける中、運よく政府の支援プロジェクトに巡り合い、妹と2人で小さな住宅を手にすることができたという。さらに1か月に130ドルの支援資金を受け取ることができたという。

「130ドルの生活支援。130ドルを、ただでもらえる。…これまで手にしたことがないすごい大金。こんな大金をもらっていいのかと思った。」

Stanfordが位置するPalo Altoのダウンタウンで、オープンテラスで新鮮なシーフードを堪能すると1人40~60ドル。ビジネススクールで頻繁に開催されるフォーマル・パーティのチケットは1晩20~50ドル。スタンフォードのロゴの入ったスウェターが1着60ドル。地元のShopping Centerのデパートでジーンズを買おうとすると1本180ドル。私が住んでいる大学院生用の独身寮の家賃は1月1,100ドル。お金もちの孤島ともいえるスタンフォード(日本より明らかに物価は高い)の相場感と比べると、同国内でなんという貧富の差だろうと感じてしまう。

その後彼女は高校に再入学しようと勉強を始め、なけなしのお金をはたきつつ子育てと勉強を両立する。なんとなく将来への希望を抱きつつ生活するある日、突如カトリーナはやってきたという。

台風はニューオーリンズでは日常茶飯事だ。大人たちは台風が来ると、台風をしのぐ晩は誰か友達の家に集まってトランプや酒盛りをして台風が過ぎ去るのを待つことも多いという。カトリーナがやってきた日も、街の人々からするといつもの台風と変わらない対応だったという。Janetの政府手当の住宅は比較的海抜の高い地域にあったという。台風当日は妹と2人で自宅で過ごそうということで、友達の家に預けていた双子の子供を妹が預かりに行ったという。ところが妹が友達の家に着くや否や台風は一気に激しくなり、二人は電話で話、結局妹と友達は双子の子供と一緒に海抜がマイナスの友達の家で待機することになったという。

貧困地域の夜風と雨は時間とともに勢いを増し、家は揺れ、窓は今にも割れんばかりに悲鳴を上げ始めた。Jannetは2階の部屋の隅にあるベッドの隅に座り、じっと台風が過ぎ去るのを舞ったという。眠っていることに気づき目が覚めた明け方、窓の外をみると、町中が水日浸しになっていたという。あわてて妹と双子の子供を案じてJannetは妹の家と向かう。自宅を出ると、ひざ下までの浸水。1ブロック進むと、膝上に。さらに1ブロック進むと、腿の上に、さらにブロックを進むと腰、腹、胸…。妹の友達の家の数ブロック手間に来た際には、ついに足がつかなくなったという。必死に泳ぎつつ、方角を確かめ、進んでいくと、目の前には妹の友達の家の屋根だけがポツリと浮かんでいたという。

屋根の向こう側には、幸運にも妹、友達、そして双子の子供がたたずんでいたという。妹曰く、堤防の決壊によって怒涛のように押し寄せてきた水は、2階にいた妹と双子の子供、友達の部屋を見る見る汚水で見たし、あわててベランダに駆け寄り、双子の子供の屋根に投げ、2人は死ぬもの狂いで屋根に上ったという。カトリーナ後に建てられた住宅の中には、このような教訓を得てベランダから屋根に登りやすい構造になっているものもあるというから、多くの住民は同じような状況に陥ったのであろう。
洪水から数日後、町には「浸水した水を排除するため、政府が堤防を爆破する」というよくわからない噂が流れたという。パニックに陥ったJanet、双子の子供と妹は、浸水のない高台に止まっていたリムジンを盗難し、行く先もないままとにかく丸1日走り続けたという。

友達の親戚の家でなんとか居場所を見つけた4人は、数ヶ月後再びニューオーリンズに戻り、定職もなく固定収入もない生活を続ける。そのような折に、「Hope House」のメンバーと出会い、地域住民からの第一の電話をスクリーニングし、Hope Houseの対応メンバーに連携する役割として雇われることになったという。

その後固定収入を得たJanetは無事高校を卒業し、そして今こうして我々の前に現れ、Hope Houseのメンバーとして彼女の半生を語ってくれている。

Chris(仮称)男性34歳
Chrisは背丈はそれほど高くないが、横幅が大きく、筋肉質の黒人男性。メガネをかけているが、顔は常に上向き、大きな鼻の穴にガニ股に広げた足が印象的な、見るからに怖そうな男性だ。南部訛りが強く、英語を聞きとるのに一苦労。今回は10人以上の白人とアジア人の観衆の前に突然出され、見るからに緊張気味。

ニューオーリンズに生まれそだったChrisが若いころ、両親は離婚し、母親に育てられたという。しかしお金が全くない厳しい状況の中、学校の給食代が払えずに毎日貧相なお弁当を持参し、ボロボロの靴を履いていく自分の姿に不満を覚えたChrisは、中学校の中頃にして学校を中退してしまう。
「見栄えがよくないんだよ。ビッグでいたかったんだ。いい格好(きれいな格好)している奴が(クラスに)いっぱいいたよ。腹が立ったね。気に入らなかったんだよ」

その後Chrisは、数人の同年代の友達と結託して強盗や恐喝を繰り返し、その資金を生活資金いあてるようになったという。町の角で数人で待ち伏せをし、見張りを置き、恐喝して資金を得る。いとも簡単だったという。その後「ビッグ」になりたかったChrisは拳銃を数丁入手し、常に持ち歩くようになったという。

ジャズクラブある日、Chrisは友達とクラブで踊っていた。するとある人がChrisの足を踏みつけたという。言い合いになったChrisは警備員に連行され、クラブを追い出されたという。クラブを追い出されたChrisは友達と一緒に、街角ですれ違った男性を恐喝する。しかし男性はお金を持っておらず、お金を出せといってもないと言い張ったという。腹が経ったChrisは拳銃を取り出し、やみくもに4発銃を発射し、友達と一緒に逃げ去ったという。

その後しばらくして、急に心配になったChrisはこっそりと現場に戻ると、そこには死体が転がっていたという。

数週間後、犯行仲間のうちの1人の自白によってChrisは警察に捕らえられる。弁護士の計らいによってうまく死刑のない地域で審判を下されたChrisは、結局その後7年間牢獄で過ごすことになる。牢獄の中は外の世界以上に暴力に満ち、ほぼ最年少で新入りだったChrisは、男性によるレイプを始めとし、さまざまな経験をそこですることになったという。

そんなChrisの人生を変えたのは、読書との出会い。牢獄生活で数年が経ったあるとき、図書館で辞書を引きながら本を読むようになったという。ほぼ人生で初めてまともに読む本。フランスのとある小説を読み耽る中、Chrisの中には何か大きな勇気のようなものがわいてきたという
どんな小説だったかは彼は話してくれなかったが、自分は自分の世界を変えることができる、そんな思いを強くもったようだ。

そんなChrisは出獄後、さっそく職を探し始める。ところが現実はそんなに甘くない。貧困地域の中で、ただでさえ職がないのに、殺人の前科を持つ何も知らない30歳手前の男性を誰が雇うだろうか。7年間の牢獄生活で、昔の友達はどこにいるかすらわからない。誰も知り合いがいない。突如として世の中に放り出されたChrisは生活に困窮し、再び強盗、恐喝による馴染みの深い生活に戻り始めてしまう。

そんな折に「Hope House」のメンバーと出会い、「Hope House」のメンバーとして働くようになったという。もしこの出会いがなければ、Chrisは確実に元の生活に戻っていただろう。

Chrisは終始、言葉数が少なかった。シニアなスタッフである友人の叔父に促され、ボツボツとしゃべる彼であったが、その後叔父と話をした際に、10人以上の初対面の部外者にこんな話をすることになって戸惑っていたのはないかとの質問に、「いやいや、今日はChrisは自分の過去をいつもよりも重く感じていたんだと思うよ。今日の受け答えを見て、彼も依然より少し成長したかなって思ったよ」という回答をいただいた。Chrisの受け答え、言葉づかいから受ける印象として、彼は決して自分の人生を自分の意思でコントロールできるタイプではない気がする。ギャング組織に入ればそこに染まるし、いい隣人に囲まれればなんとなくいい隣人となるようなタイプだ。ものすごい偶然の出会いと、多くの良心的な隣人に囲まれ、今こうしてわれわれの目の前にChrisがいるのだと思う。ただ数ヶ月後に、もし彼がすべての良心的な隣人を失い、再びギャングの世界に戻れば、彼はすぐに元の世界に染まってしまうだろうという、少し虚しい、切ない想いも心によぎった。

ニューオーリンズに降り立ち、タクシーで黒人の貧困地域を横目にしながらHiltonホテルに到着すると、そこには奇麗な格好をした白人たちが大勢ロビーでコーヒーや会話を楽しんでいた。ホテルで目にした黒人は、わずか1名。低標高の黒人貧困層と、高地、観光、コマーシャルエリアの白人街。ニューオーリンズの中でも地域隔離が進んでいるし、振り返ってバブルのシリコンバレーの孤島、スタンフォードの奇麗な芝生と豪社な建物を思い出すと、アメリカという国の歪んだダイナミズムを感じてしまう。
Janetに、あるクラスメートが「将来の夢は何?」と問いかけた。彼女の答えは「自分の子供たちには、(自分の母親のように)将来絶対に麻薬に手を染めてほしくない。それから、押しつける気はないけど、なんとか大学まで進ませてあげたい」。彼女の人生に対する無念、悔しさが滲みだしてくるようなコメントだ。同じ問いにChrisは、「夢? 考えたことないよ。うーん。。。平和で静かな生活がしたいんだ。平和で、静かな、ね。」
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