Stanford MBA 心の旅路

Stanford大学でのMBA(Stanford GSB)留学に奮闘する、外資系経営コンサルティング・ファーム勤務の若者の心の日記blog。 コンサルティングの仕事、MBA受験からスタンフォードGSB合格、スタンフォードMBA生活、帰国にいたるまで。

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スタディ・トリップ12月13日から23日まで、LAとNYに学校の公式行事としてのスタディ・トリップに行ってきた。テーマがメディア・エンタメだったためか、参加した学生のノリも非常によく、オン・オフともに非常に充実した10日間を過ごしてきた。私はメディア業界に特別興味を持っていたわけではないが、くじ引きの関係もあり、こちらに参加。毎日5~8つのミーティング(ほとんどが有名企業のCEOやCOO)をこなす超ハードスケジュールで、毎日夜にはすっかり放心する日々であった。我々に同行してくれた教授がOscar賞を2度受賞している有名なプロデューサーでもあったためか、彼のネットワークも活用し、メディア界のビッグネームに沢山会わせてもらえた。

スタディ・トリップ中、学校側のblogや写真の担当をしていたので、すっかりこちらの更新が滞ってしまったが、以下に学校側の公式blogのURLを載せておくので、ご覧ください。(英語ですが。)
http://www.gsbmediatrip.com/Site/Blog/Archive.html

今日はNY郊外に住むクラスメートの実家のクリスマスパーティーに参加して今ホテルに戻ってきたところで、もうしばらくしたら今度はインドに旅立つ予定。今回の旅行の具体的な内容についてはスキを見てアップしていきたい。
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Stanfordの授業が始まって早3カ月。時が経つのは本当に早い。今日、ついに秋学期の授業がすべて終了した。感想としては、一言で言うと、大変だったがとても楽しかった。詳細の振り返りはまた期末試験後にゆだねたい。Classmates
この3か月間、60人のクラスで多くの授業を受けてきて、8人単位のスタディ・グループで多くのグループワークをしてきた。今学期、今日限りでこのクラスとスタディ・グループとはお別れかと思うと、ちょっとセンチになってしまう。Stanfordは次の学期から個人ごとにカスタマイズしたカリキュラムになっていくので、それぞれがバラバラの授業を取る形になってしまうのだ。今日はクラス全員で授業の後に記念撮影。感慨深い・・・・とはいえ、感慨に浸っている暇はないので、具体的な振り返りは冬休み中にまかせて、今日からは徹夜で勉強に打ち込まなければならなそうだ。

来週は月曜から3つの科目で期末試験、さらに3つの科目で期末レポートの提出が控えており、週末は非睡眠の持久戦を強いられそうだ。期末試験が終わるのが水曜。木曜からが、冬休みだ。冬休みは、学校の公式行事であるスタディ・トリップでロサンゼルスとニューヨークを訪問し、クリスマスはそのままニューヨークで過ごし、新年はインドで過ごすことにしている。春休みもニューオーリンズでボランティアをしようと思っているので、日本に帰るのは夏までお預けになりそうだ。
International Studentsキャンパスではサマーインターンを巡ってのリクルーティング活動が盛んだ。昼にinternational studentsのクラスメートと情報交換をしあったのだが、同じ海外からの学生でも、途上国から来ている学生の就職活動の背景状況は私たち日本人と大きくことなることを痛感する。

バングラディッシュから来ているクラスメートは、卒業後もアメリカで働くために就職活動中。国に帰ってもここで学んだスキルを生かして高い給料をもらえるような職がない。政府の腐敗、市場の未成熟、インフラの未整備。。。 母国に帰ることは、おそらくないという。PEへの就職を希望している。パキスタンから来ている友人は、自身がコングロマリット企業の社長なので、パキスタンに戻るという。彼の会社では、これまで繊維産業を中心にしていたが、その後テレコムに進出、競争が激化したため競合に部門を売りさばき、現在は発電・エネルギー関係がビジネスの中心になっているという。今後は銀行業への進出を検討している。彼のような特殊な例を除いて、まずこのようなアメリカのMBAプログラムに参加して母国に帰る人はいないという。中国から来ている友人は、英語での就職活動に非常に苦戦している。彼の出身地に戻ってもいい職がないため、外資系企業への就職を希望している。そのためには英語を学ばなければならないのだが、そこまで英語が達者でなく、この歳からの英語力向上の限界も感じている。「日本は国内に魅力的な職が沢山あっていいよな」、ということをよく言われる。

途上国からのinternational studentsが口を揃えて言うのは、もし母国に魅力的な職業が豊富にあるなら、当然母国でやりたいということ。言語のハンデもないし、人脈や文化理解のアドバンテージもあるし、家族もいる。でも悲しいかな母国には高度なスキルで高い給与を得られるような職がないので、仕方なくアメリカの土俵で相撲を取っているというのだ。親も必至で子供を若い頃からアメリカの教育機関に入れようとする。ただしそれができるのは一部の超富裕層のみだ。お隣の国、韓国でも、アメリカで教育を受けさせて外資系に就職させることが豊かな生活を送る大切な条件のようで、似たような状況らしい。

こちらに来て改めて感じているのは、そう考えると、日本は恵まれているということ。国内の市場が十分大きく、成熟していて、国内で働くことがアメリカで働くことに比べて見劣りするわけでもなく、英語を必至で学ばずとも幸せな生活を送れる。外資系企業の給料が相対的に高いということはあるが、アメリカで教育を受けずとも外資系企業の日本オフィスに就職して日本で働ける。立派な日本企業も沢山ある。アメリカ資本主義の大波に国内を蹂躙されていないというか、アメリカ語やアメリカ式のビジネスを学ばないと生き残れないような「アメリカ社会」にはなっていない。アメリカで働かざるを得ないinternational studentsたちを見ていると、アメリカで働くか、日本で働くか、ニュートラルに選べてしまう母国を持った自分たちはラッキーだと思う。私たちの親の世代が築いてくれた「経済大国日本」の遺産に感謝しないといけないな、と感じた。
Room今日はスタンフォードに雨が降った。朝起きると外が普段より暗く、ブラインドを開けて外を覗くとなんと雨。これからの1か月間は雨がたびたび降る模様。春雨のような小振りだったので問題はなかったが、私の住んでいるところからは自転車通学が基本なので、雨はちょっと大変そうである。実家から送ってもらった折り畳み傘が活躍しそうだ。

スタンフォードは乾燥した土地だ。毎晩夜(11時くらい)になると一気にキャンパス中でスプリンクラーが作動しだし、「シャー」という音が、しんと静まり返った閑静な住宅街(寮)の部屋にも聞こえてくる。スタンフォードはスプリンクラーに埋もれているといっていいほどスプリンクラーがたくさん設置されているが、スプリンクラーが設置されていない芝生の部分は、緑でなく、枯れた茶色のような色になっている。そんな茶色の芝生も、この1か月間の雨で緑に戻るという話を聞いた。

オテント様が隠れると、気候も寒く感じる。今日は薄手のコートを着て自宅を出た。来週からの期末試験を考えると、このくらいの気候の方が自宅か図書館に籠って勉強できるのでいいかもしれない。明日は今学期最後の授業。今週末は、勉強の山場だ。
Executive Challenge今日は丸一日、「Leadership Labs」という授業の期末試験だったのだが、これが面白かった。世界中から150人のシニアなAlumni(Fortune500社のCEO/ボードメンバー、VC・PE・コンサルティングファームのパートナー、ベンチャーの創業社長など)が駆けつけ、丸一日かけて360人のMBA学生の「リーダーシップスキル」を、直接ロールプレイによって判定するのだ。うちのコンサルティングファームの前CEOも来ていた。「現実のボードメンバー」を相手に授業で培った(はずの)リーダーシップスキルをぶつける機会がもらえるということで、Stanfordでは珍しく皆がスーツを着て、普段と全く違う雰囲気の中、「Executive Challenge」は始まった。

Executive Challenge」は6~8人のスタディ・グループ単位で行われる。その中で2人組を3~4組作り、それぞれの組が用意された3~4つのロールプレイに順番に参加する。1時間30分の与えられた準備時間内に、各ロールプレイ20~40ページの状況設定を読み込み、必要に応じてロールプレイで使うプレゼン資料なども作らないといけない。インターナショナル学生にとっては時間ギリギリのシビレル状況設定であった。

Role Playロールプレイもまた、緊迫感みなぎるものだった。特に面白かったロールプレイは、創業者社長がIPO直前に他界してしまい、VCが社長とCFOを会社に送り込むことになったという状況設定のもの。その初めての顔合わせボードミーティングをロールプレイする。Alumni扮するボードメンバーは、絶対的な権力者だった社長を亡くし、VCが土足で入ってくる中、職の安定・会社の将来・IPOの成否など、それぞれが不安と猜疑心でいっぱいの状況で会議室にて社長とCFOを待っている。そこにMBAの学生扮する社長役、CFO役が、ボードメンバーの不安と猜疑心を払拭し、信頼を獲得しつつ、VCからの過酷なコストカットの要求をできるだけ実現するという、非常に難しい役割を背負って会議室に入っていくという状況だ。アクティブ・リスニングスキル、強く妥協を迫る力、方向性と自信を見せる力など、すごく難しいスキルが必要な状況の中で、我々のグループの2人は、最初こそ露骨な皮肉や冷たい態度に面くらいながらも、うまく「落としやすい」ボードメンバーから一人ずつ橋を築いていき、最も不満と警戒心むき出しのボードメンバーをうまく囲い込み、非常にバランスよく物事を進めた。個人的にはよくやったと思ったが、それでも演習後の「ボードメンバー」からのフィードバックは、具体的で実践的だった。「あの一言は彼の不安を駆り立てる。私ならこう言う。・・・」「部屋に入ってきた際にプレゼン資料が見えてしまい、私は身構えた。そういうところも注意しろ。」「私ならまず彼を指名して、こういう順番で発言させる」など、非常に具体的でリアルなフィードバックが相次ぎ、彼らの豊富な経験を裏に見るようで、観ていてもとても勉強になった。2人とも終わったあとは脂汗状態だった。

Alumni朝の1時間30分の準備時間では、グループのありがたさを感じた。私は正直読む速度がネイティブに比べて遅いので、皆に頼んで一番読む量の少ないロールプレイをもらった。且つ、ネイティブの人に一部のパートを読んでもらってブリーフィングしてもらうなど、本当に皆が私を助けてくれたおかげで準備ができた。変わりに私は経営コンサルティングファームにいたので、プレゼン資料の作成はお手の物だったので、ほかの2組のプレゼン資料をヒアリングしながら即席で作ってあげるなど、お互いがお互いの強みを生かして、すごくうまくコラボレートして準備ができたと思う。個人評価の期末試験で、1時間30分という限られた準備時間の中、貴重な自分の準備時間を割いてまで他人を助けるというのは、すごく立派なことだと思った。移動時間や他のチームがロールプレイをしている間も、お互いに「Devil’s advocate」(敢えて反対の立場から反論してみること)をしあったりして、他人のロールプレイの準備を手伝ってあげたりもしていた。またロールプレイが終わると、皆で「帰還」した2人組の肩を叩き合い、「Good Job」と褒め合うのも、なんかチームとして機能していて気持ちいいなぁと思った。

Our Teamすべてのロールプレイが終わり、その後のAlumniとの交流会までの間、少し時間があったのでグループの皆でキャンパスのカフェに入り、ビールやワインで乾杯をした。8人のスタディ・グループに、指導員の9人で、何となしにお互いのいい点を指摘し合うことになり、それぞれが、それぞれの「素晴らしいと思う点」を指摘しあった。みな可愛いなぁと思ったのは、褒められるとマトモに喜ぶこと。ある人は嬉しさを隠そうと、明らかに目頭と頬が嬉しさでゆるんでいるのに、逆に妙に神妙な面持ちで聞き入っていたり。私も、まともに褒められると思わずくすぐったくて恥ずかし笑いをしてしまうが、すごく嬉しかった。そんなこんなでその後皆で写真をとり、すでに酔っ払い始めた状態でAlumniとの交流会場に流れ込んでいくのでした。

来週から期末試験ラッシュなので気が抜けないが、明日の授業では準備をするケースがない(すべて期末前のラップアップになっている)ということで、Alumniとの交流会の後、酔った状態で夜の10時から夜中の1時過ぎまでなぜか体育館でバスケを実施。(キャンパスのスポーツ施設は夜中まで空いている。)久しぶりに走り回り、すでに帰ってきて足が筋肉痛の兆候を見せているが、まぁ、なんでもいいとしよう。今は自宅に戻り、Napaのシャルドネの白ワインを飲みながらこのblogを走り書きしている。のんびりは今日だけ。期末試験勉強、明日から頑張らないとな。
Sudokuアメリカの新聞には、よくクロスワードパズルなどがついているが、その欄でよくSudokuという数字のパズルを目にする。私は勉強をしている際、BGMとしてFM88.5(トークショー)を流しているが、たまにSudoku, Sudokuという言葉を耳にし、特に気にしていなかったが、外来語っぽいけど、何かなぁとずっと思っていた。何かなぁと思っていたら、先日アメリカ人の友人の自宅にお邪魔した際に、実は日本から来たものであることを知らされた。

Sudoku(数独)というのは、9×9のマスの中に、一定のルールに従って1から9の数字を入れていくパズルである。昨年くらいからアメリカで大ブームになっているらしく、「日本では大流行」という触れ込みで広まっているらしい。当の日本人が「知らない」と答えると、友人の家族はびっくりしていた。

どうやら、もともとはアメリカではじまったものが、やがて日本にも流入し、日本のパズル雑誌で数独(「数字は独身に限る」の略らしい。。。)の名称で連載されていたのを、ニュージーランド人の記者が見つけてSu Dokuの名でイギリスの新聞社に売り込み、2005年にイギリスで大ブーム、その後世界に広まったらしい。最近は日本の新聞でも連載が増えてきているとか。アメリカ→日本→イギリス→アメリカ→日本、ということか。きっとイギリスでブームに火がついた際に、どこかの記者か編集者が「日本で有名」といった触れ込みをつけたのだろう。「数学が得意な日本人」というイメージと相まって広がった面もあるかもしれない。ブームはどこで火がつくか本当に分からないものだ。(MBAの学生的には、なぜブームが付くのか分析しないといけないところなのだが、来週が期末試験ラッシュなのでご勘弁)


※ルール: 小さい3×3の枠の中で同じ数字を2度使わず、また縦の列、横の列でも同じ数字が2度出てくることなく、すべての空欄に1~9の数字を埋める。
Stanford Campus友人と2人で食事をしている際、私の後の席に日本人の女性2人組が座った。日本語で談笑していたので日本人だとわかったのだが、ここら辺で日本人は珍しいと思い、Stanford関係者かと思って日本語で声をかけてみた。すると、こちら側2人は見るからに誠実で質実剛健、子羊のように純粋な2人組(友人は香港人)なのに、ナンパと勘違いしたのか、ギロっと白い眼で見られ、「何この人。マジうざいんだけど。」的な雰囲気でシカトされてしまった。そのあと聞こえてくる会話の内容、雰囲気からすると、どうやら日本からの観光客のようだった。

そう言えば、日本では若者がいきなり知らない異性に声をかけると「ナンパ」という捉え方をされることを思い出した。こちらにいると、知らない人とも気軽におしゃべりすることが結構あるで、その雰囲気のまま、久しぶりに日本人を見て嬉しくて声をかけたのに、どうやら「下心を持ったお兄さん方」というレッテルを貼られてしまったらしい。

アメリカは赤の他人とのファーストコンタクトの敷居が日本よりも低い国で、誰とでも会話が始まればとりあえず楽しく会話をする。バスや電車の中でも、知らない人との会話が始まるケースも多い。日本でバスや電車の中で知らない人に話しかけたら、まずほとんどの人は眉をひそめるだろう。(日本でもおじいちゃん、おばあちゃん同士の世界ではよくある模様だが、若者が、知らない若者に声をかけることはほとんどないだろう。)

他人との距離の取り方の日米における違いということなのだろうが、今日は白い目で「ナンパ師」扱いをされ、ちょっと凹み気味でもあるのでした。(無防備の満面の笑顔で声をかけただけに、彼女らの無慈悲なカウンターパンチは、子羊のごとく繊細な私の心の奥深くをえぐった。)あんな眼で見なくてもいいのになぁ。。。。(涙)
San Francisco授業でDiversityに関するクラスがあった。人種、性別(男女、ゲイ・レズ)、宗教、文化の違いといったあたりについて、実際の仕事のシーンを想定しながらどのように対応すべきかを議論する授業だったのだが、その中のゲイ・レズに関する議論で、何人ものクラスメイトが「私はゲイだ」とカミングアウトしてきたのに新鮮な刺激を受けた。

授業では、ある従業員がゲイであることが判明し、職場の数人で家族やSO(Significant Others:恋人・配偶者など)の話題をしている際に、その従業員に話題を振るかどうかという議論をしていた。多くの人が、ゲイであることが偏見・差別を生む可能性を想定してか、敢えてその人にSOの話題などを振ってゲイであることをカミングアウトさせるようなことはしないというスタンスだったのだが、その中であるクラスメイトが手を挙げて言った。

「私は、実際にゲイです。でもそれは隠すことじゃなくて、私は回りの人に自分がゲイであることを言うのに抵抗はないし、逆に変に話題を避ける方が偏見だと思う。」

その流れに乗るかのように、何人ものクラスメイトが「私もゲイです」発言で次々カミングアウト。自分の身近な人にこんなにゲイがいたことに軽いカルチャー・ショックを受けるとともに、あー、やっぱり西海岸に来る人はゲイが多いんだなぁ(西海岸はゲイの天国)、ということを再認識させてもらった。彼ら曰く、「男性にSOがいる場合、勝手にheterosexual(異性愛者。日本人の感覚だと”普通の人”)だと決めつけて girl friendという言葉を使うのはやめてほしい。SOかPartnerと言ってほしい」とのことだった。インド人でアメリカに初めて勉強に来たクラスメイトは、アメリカ人男性の友達から、これが私のboyfriendです、と言われて別の男性を紹介された際、一瞬意味がよくわからなくて事情を呑み込むまで数秒かかったらしい。

この授業を通して、私も多少ゲイとレズに関する免疫がついた気がする。初めて人と会う際には、「この人はhomosexualかもしれない」ということも想定して、ニュートラルな接し方をした方が(特にStanfordでは)よさそうである。これまでゲイといえば「レイザーラモンHG」か「ほもおだほもお」くらいしか馴染みがなかったが、この授業で身近な知り合いがゲイだと知って大分距離が縮まった。Open Gay(ゲイであることを隠さない人)という言葉自体、こちらに来て初めて知ったのだが、考えて見れば彼らも自分がゲイだとカミングアウトしないとパートナーも見つかりにくいだろう(もちろんゲイ同士が集まる場所はたくさんあるのだが)。ただゲイであることが未だ根強く偏見の要因になる地域や国では、ゲイの社会的地位の向上に熱心な活動家以外は、Open Gayにはなりにくい気もする。そういった地域では、授業で当初多くの学生が考えたように、ゲイであることは敢えて回りの人も話題にしない方がいいのかもしれない。ただ、ゲイが沢山いることを皆が想定している西海岸の、特にDiversityの尊重を売り物にしているStanfordにおいては、ゲイは特に強烈なアクティビストでなくてもOpen Gay足り得るくらいの社会的な許容度ができている(我々が作っていく)のだろう。
San Franciscoアメリカに住んでいると、「Politically Correct」という概念から離れては生活ができない。日本にはない非常に面白い概念だ。簡単に言うと、公の場で、
していい発言(politically correct)」と、してはいけない発言(politically incorrect)」が、皆の常識としてなんとなく共有化されている。

これまでStanfordで過ごしてきた感覚からすると、「Politically incorrect」な発言(NG発言)は、大きく2つに分類できる気がする。1つ目が「差別に関わる発言」で、2つ目が「内面(精神)の自由を阻害する可能性がある発言」だ。

1.「差別に関わる発言」
端的に言うと、人種と性別に関する差別的な発言。「白人だから」「黒人だから」といった発言は特に好ましくなく、人種差別主義者だと思われるとその人の社会的なイメージの損傷は非常に大きいらしく(取り返しがつかないくらい)、皆、人種に関わる発言をせざるを得ない場合は、非常に言葉を選んで発言する。ただし1対1で個人的に話をすると、こっそり話をしてくれることもあるが、3人以上の場で、アメリカ人が自分からこの話題を振ることはまずないと思っていい。

ただ、白人の黒人に対する差別意識は、実は根深いという感じもする。何人かのアメリカ人と1対1で話した際には、「もちろんこんなことは公には話せないけど、やはり黒人はこの国では”奴隷”としてスタートしたから、どうしても出発点が違う。立派な黒人もいるけれど、全体を見ると、やっぱりまだアメリカの一市民としての洗練度は、足りないと思ってしまう」とのこと。「彼らは我々の”奴隷”だった」というのは私にとっては強烈なコメントで、その差別意識は表面的には規制しようとも、心の底ではそう簡単には埋まらないのだろうな、という感想を持った。ちなみに性別に関しても、クラスの黒人女性(すごく知的な人)の授業での発言は強烈だった。「Global Context of Management」というグローバル化に関する授業の中で、女性が社会的に活躍しにくい国に、女性がプロジェクトのリーダーとして派遣される中奮闘するというケースを扱ったのだが、彼女は「こんなことをされたら、即刻訴える」とのこと。アメリカの訴訟社会を感じた瞬間でもあったが、彼女いわく「女性が活躍しにくい国であるのに、女性をそこに送ること自体、女性に男女差別の現実を味わわせ、その人のキャリアに傷をつける最悪の行為」とのこと。確かにその通りだが、「即刻訴える」というその発言に、アメリカでの性別差別に対する意識の温度感を感じた。

2.「内面(精神)の自由を阻害する可能性がある発言」
具体的には、宗教と政治に関する発言。公の場ではこれらの話は一つのタブーになっている。私の今のところの理解では、宗教や政治に関する発言をすると、話がこじれて争いになってしまい、結局は逆に個人の内面(精神)の自由を奪う結果になってしまうからだと思っている。個人の信条、利害が端的に表れるところなので、逆説的だが、内面(精神)の自由を担保するために、内面(精神)に関する発言を抑制しているのだろう。積極的に「認め合う」というより、「会話にしない/干渉しない」。日本人からすると「さみしい」と思ってしまうが、はるかに多様な人と多様な思想を持った人が集まるこの国でこそ生まれた、独特の知恵なのだろう。

Politically Incorrect」について私が面白いなぁと感じるのは、実は「アメリカには言論の自由がない」という点。いささか過激なコメントだが、半分真実なのではという気がしている。「Politically Incorrect」な発言をすることは実質上タブーになっており、例えばアメリカの大学の中ではそのような発言をした教授は無条件で解雇になることがあるという話をアメリカ人から聞いた。「Politically Incorrect」な発言はその人の社会的なイメージを決定的に壊してしまうらしく、いかに「お金を稼げば尊敬される」シンプルなアメリカ社会においても、「Politically Incorrect」なレッテルを貼られると社会的名誉は地に落ちてしまうとのこと。他人への誹謗中傷など、どんな国でも言論の自由の制限は実質あるが、「Politically Correct」という概念は日常生活の中でも意識させられる場面が大きく、日本や西洋よりも言論の不自由さを感じる。

以上からは導かれないが、アメリカ社会に対する印象を仮説で大胆に書くと、アメリカ社会というのは、お金さえ稼げば尊敬される社会。「人種・性別差別」を撤廃することで、結果的に多様な人々の英知を最大限結集して、皆が「平等」にお金稼ぎをできるようにしている。逆に、それを阻害する人種・性別差別発言は、極度に嫌悪される。そしてお金さえ稼げば、誰も個人の内面・価値観については判断を下さない(非干渉&放置)。その意味でアメリカは「自由」なのだろう(ただ発言(≠内面)は制約を受ける)。こういった社会の在り方を示し、また支えている1つの概念が、「Politically Correct」という概念のような気がする。
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