Stanford MBA 心の旅路

Stanford大学でのMBA(Stanford GSB)留学に奮闘する、外資系経営コンサルティング・ファーム勤務の若者の心の日記blog。 コンサルティングの仕事、MBA受験からスタンフォードGSB合格、スタンフォードMBA生活、帰国にいたるまで。

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授業が本格に的に始まって一週間が経った。ここで、スタンフォードのキャンパスを簡単に紹介したい。一言で言うと、とにかく広くて、緑の芝生と、赤茶色のロマネスク様式の建物が印象的なキャンパスだ。所有地の広さでは世界一の大学だと友人から聞いた。余っている土地は商業施設などに貸し出したりして活用しているとのこと(前に触れたStanford Shopping Centerも大学が敷地を貸している)。

Palm Driveに続く正門Palm Drive

大学から見たPalm Drive大学のいわゆる”正門”は、Palo Altoのダウンタウンのすぐ隣にある。サンフランシスコ、サンノゼをつなぐCal trainという電車のPalo Alto駅のすぐ目の前だ。そこの正門をくぐると、名物の”Palm Drive”が延々と続く。2キロ弱の直線にわたって、道路の両脇に西海岸らしいヤシの木が連なっている。そのPalm Driveの先に、Stanfordのキャンパスが広がっている。(写真は左上がPalm Driveの入口の正門、右上がPalm Driveを車で走っているところ、左下がキャンパス側からPalm Driveを撮ったもの。)この長大なPalm Driveの存在(徒歩でキャンパスに入るのは困難)が、Stanfordを安全で洗練された、ただちょっと孤立した不思議な空間を演出していると思う。(これは誰でも簡単にアクセスできるBerkeleyとの大きな違い。)

キャンパスには、Palm Driveの突き当たりにPalm Driveと垂直に大きな通り(Serra Street)が走っており、これがメイン通りの一つとなっている。下の写真の左はSerra Streetの写真。右はPalm Driveの突き当たりにある中央広場(Main Quad)に続く小さな広場の写真だ。Serra Street中央広場、教会へと続く中庭
この中央広場をまっすぐ行くと、正面に巨大な教会がそびえたっている。この教会がまた大きい。一歩中に入ると、外の明るい太陽とキャンパスとは対照的に、ヨーロッパに来たかのような荘厳で静かな空間が広がっている。(写真下)教会の中


もう一つのシンボルがフーバータワー。フーバー大統領はStanfordの卒業生らしいが、彼の名をつけた、キャンパスを一望できるタワーだ。エレベーターで最上階に登ると、キャンパスおよびPalo Alto一帯を一望できる。
フーバータワーフーバータワーから見たキャンパス

さて、われらがビジネススクール(GSB)の建物は、このフーバータワーの近くにある。正直、美しいとは言えない古い建物だが、中庭を挟んで2棟が向かい合う形で構成されている。実際、来年度の学生からは現在建築中の新しいきれいな建物で授業を受けることになる模様で、われわれが旧世代GSB最後の世代(授業プログラムは今年から刷新されたので実際は過渡期。。。)となる模様だ。
ビジネススクール外観ビジネススクール外観
ビジネススクールの2階で勉強する学生
ビジネススクールの寮左の写真はビジネススクールの大半の人が住んでいる学生寮。入口にはヤシの木が立ち並び、中庭はイタリアのフォロ・ローマを思わせるような、地中海調の寮となっている。私は前にも書いたとおり、この寮に応募したのだが先着順の関係で落選してしまい、Escondido Villageという大学院生用の独身寮に入っているが、大学院生用の寮の中でもビジネススクール向けだけ特別に作られており、中も非常にきれいで豪華な印象だ。(どこの大学もビジネススクールだけお金がかかっているのは同じ傾向だと思うが。そのせいか、他の大学院生などと話をしていて、ビジネススクールだと言うとたまに冷やかされる。)

図書館そして図書館。図書館は複数個所に点在しているが、こちらは大きな2つの図書館のうちの1つ、Meyer Library。図書館だけ見ると、Berkeleyの方が規模の面でも設備の面でも上を行っている気がする。(Berkeleyの図書館は、2棟巨大なものが建っており、地下の巨大な書庫で2棟がつながっている。雰囲気もBerkeleyの方が荘厳な感じ。)

キャンパスのいたるところには、芝生や緑豊かな広場が用意されている。これまで勉強というものは湿った密室に籠ってするものとばかり思っていたが、ここの学生は太陽のもと、芝生やベンチで勉強をしており、とても恵まれた環境だと思う。
キャンパス風景キャンパス風景
私の住んでいる寮は、Palm Driveからさらに2キロくらい離れたところ、ビジネススクールとは自転車で10分強の位置にある(写真下)。毎朝、自転車で緑のキャンパスを駆け抜け、ビジネススクールの教室に通っている。
Escondido Studio 外観なんとなくStanfordのキャンパスの雰囲気を感じてもらえただろうか。とにかく広くて、緑の芝生と、赤茶色のロマネスク様式の建物が印象的なキャンパスだ。まだまだ、ジムやスタジアム、各種のコートがある運動施設エリアなど、散策しきれていないエリアも多い。なかなか授業で精一杯でビジネススクールと寮の往復の生活になってしまうが、スキをついていろいろと散策していきたい。
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アフロ、レオタード、レッグウォーマー、バンダナ、ロックスター。。。
80’s party

80’s partyMBA1週目終了後の金曜夜、Palo Altoのとあるクラブは80年代の仮装をしたMBAの学生でごった返していた。ダンスホールではカツラとバンダナが激しく動き、マイケルジャクソン、プリンス、スティービーワンダー、ハードロックといった懐かしの音楽が大音量でホールを揺らす。私にとってのロックスター:中1から大好きだったGuns N’ Rosesのボーカル、Axl Roseになりきって揺れ動く群衆とともに音楽に身を任せた。来週からの地獄の授業ラッシュはどこ吹く風、カツラとバンダナは深夜まで激しく揺れ続けるのであった。
今週から待ちに待ったMBAの授業が開始したが、やはり予想通り非常に忙しい。来週からはさらに忙しくなる予定なので、戦々恐々としている。さて、こっちの授業は、生徒の「事前予習」+「授業での議論参加」が非常に重視される。「事前予習」に非常に時間がかかることが忙しさの要因なのだが、それはさておき、「授業での議論参加」については、皆活発なので、どんどん発言がなされる。聴講するだけでなく、生徒同士、生徒と教授の活発なやり取りによってクラスの学びを最大化させようという思想が貫かれている。そんな中でも一番参加重視の授業が、チームマネジメントの授業だ。

グループワークいかにチームやグループをマネジャーとして運営していくべきかを学ぶ授業だが、予習で大量の教材を読まされるにせよ、授業では毎回グループでのエクササイズを行う。推理ゲームのようなことをやったり、擬似的な株式市場的な取引ゲームをやってみたりする中で、情報管理の重要さや、モチベーションマネジ、従業員の心理など、いろんなことを体験しながら考えさせる。いずれもよく作り込まれたエクササイズで、途中で疑心暗鬼が生まれたり、結束が生まれたり、実際の社会で起こる要素がうまく盛り込まれており、やっていてとても楽しい。

そんな体験型授業の中でひとつ感じたのは、アメリカ人も意見が対立した際に相手の感情を気にするんだなぁということ。「アメリカ人は個人の人格とは別に議論をするのでドライに意見を対立させられる」ということを日本で何度か聞いたことがあるが、むしろアメリカ人の方が気を使って相手を傷つけないように反対意見を述べることも多い。

よいアイディアを出すためには異なる視点(あるアイディアの盲点、改善点など)の衝突を起こすことがとても重要だが、ある論文によると、お互いの感情を害すことなく反対意見を言える雰囲気を作るためには6つのポイントがあるとのこと。

 1.事実に基づいて議論をする。
   (あいまいな根拠の議論は感情論に発展する)
 2.複数のオプションを出して議論する。
   (1つのアイディアを批判すると息が詰まる)
 3.チーム全体のゴールのレベルでしっかり合意する。
 4.ユーモア・笑いを議論に取り入れる。
 5.チームのパワーバランスを適度に保つ。

   (リーダーが弱すぎない、強すぎない、など)
 6.メンバーの納得を大前提としつつも、時間切れになったら責任者が決める。
   (議論をしっかりした上で、次々に物事を進める)

そう言われれば、前職の経営コンサルティング会社では、まさしくこの6つの要素が揃っていた気がする。自分がマネジャーとして「アイディア創造型」組織(組織のタイプによって気をつけることは異なってくる)を運営する際にはこういう要素に気をつけるべきなんだなぁという、いい勉強になった。(以上はマネジャーの立場としての話だが、メンバーとしても前半4つあたりは応用可能。基本は相手へのリスペクトとちゃんとした根拠だと思うが。)
ウェルカムイベントようやく待ちに待ったStanfordのビジネススクールが明日から開校する。今日は午後からウェルカムディナーということで、キャンパスの広場で学長のあいさつなどがあった。イベントは広々としたオープンテラスで行われ、極めてカジュアル。数人があいさつをしたが、皆フランクで気さくで、Stanfordの校風を象徴していると思う。

ウェルカムイベント明日から、(しかも朝8時から)、さっそく次々と授業が開講する。今週は特に授業とウェルカムイベントラッシュだ。もう一度初心を思い出し、しっかりと頑張ってきます。
アメリカに関する感受性は、日本から来たばかりの今が一番高い。感じたことをなるべく書き記しておこう。アメリカが日本と違うことの一つが、所持品の盗難に関する感覚。当然、盗難に関する感度が非常に高いと感じている。いくつか具体例を挙げてみよう。

ClassroomBerkeleyのサマーセッションでは、大学のど真ん中にある建物の2階のあるクラスルームで授業が行われていたが、休憩時間には教授から、必ず所持品を持ってトイレに行くよう、また常に自分の所持品からは目を離さないように指示された。ちょっと目を離した隙に、あっという間に物がなくなることが実際にあるらしい。日本であれば授業の休み時間はカバンを自席置き放しで、教室の端でおしゃべりしたり、トイレに行ったりするのが普通の感覚だろう。プロの盗難は本当に素早いので、どんな人でもはいれる大学では特に気をつけておくようにとのことだった。ちなみに、授業でプロジェクターを使用した際も、休み時間に生徒にプロジェクターを見張っておくように指示をしていた。ある意味気が休まらないが、所持品からは絶対に目を離さない、また自分がコントロールできない状況に置かない。これがアメリカの所持品を扱う感覚の模様だ。

同様にBerkeley内の学生用の喫茶店や図書館でも、同様のことを感じた。隣の人から、トイレに行くので所持品(ノートや教科書)を見張っておいてほしいと頼まれたことが2,3度あった。(それでも財布やカバンはちゃんと自分で持っていく。)頼んだ相手が悪い人だったら元も子もないが、一応人を見て頼んでいる(ポジティブに考えるなら)のだろう。

ある人から聞いた話では、西海岸のある街中のコインランドリーで、乾いたはずの洗濯物を取りに行ったところ、高価なジーンズだけなくなっていたという。そこにいた人に、あやしい人がいなかったか聞いたところ、その場にいなかったあなたが悪いと言われたという。(まぁそれはそうだろう。)また、スーパーでバンドエードを買って開けてみたところ、中身がほとんどなかったので返しに行ったところ、ちゃんと重さを確認しなかったあなたが悪いと言われたとのこと。中身だけ取られていることはたまに起こるらしいので、ちゃんと自分で確認しろとのこと。いずれの例も、日本でも気をつけている人はやっているだろうが、やはりアメリカの方が物がなくなることが頻繁に起こる故に、所持品から目を離さない、盗難の可能性を前提に行動することが日常感覚になっている気がする。

Bicycle次に感じるのは、自転車に関する盗難感覚。自転車盗難は実に多い模様。みな頑丈な鍵をつけて駐輪をしているが、前輪をはずされて持っていかれることが多く、町中の駐輪場には、前輪だけ残っていたり、鍵だけ残っていたり、盗難の残飯が嫌というほど目につく。防ぐためには、前輪と、駐輪場と、自転車のボディ自体を一気に囲う形で鍵をつけてやることが必要だと、アメリカ人の友達に教えてもらった。高い自転車は本当にターゲットにされるとのこと。(私のは心配は少ない)

それから最後は車や車内品の盗難。まず、車を停めて買い物などに行く際、車内には物を残しておかない。旅行をしていた際には、比較的大きな荷物を持っていたりして、ちょっと荷物を助手席に残したまま10分くらい景色を見に車を後にしたい誘惑に駆られたことが多かったが、なからず荷物を持っていくか、トランクに全てしまってから車を後にした。Car Navigationそして何よりカーナビ。こちらではポータブルカーナビが多く、私もポータブルカーナビを利用していたが、面倒でも車を離れる際は毎回カーナビを取り外してダッシュボードの中など、外から見えないところに格納していた。金目になるものが中にあると、それ目的だけで窓を割られて盗難にあうことが多いという。面倒だが、習慣づけてしまえばなんということはない。それから最後は車自体の盗難。こちらでは様々な盗難防止装置を日常的に目にする。ハンドルを固定する器具や、ボディに衝撃があると反応するアラームや、エンジン自体を遠隔で停止できるリモコンなどなど。町中でも、誤って盗難アラームを発動させてしまい、あわててけたたましいアラーム音を止めようとするオーナーをたまに見つける。前の章で書いたように、高級車ほどデフォルトで盗難対策装置がついていたりするので、最も狙われるのは数が多く流通させやすい日本の大衆車ということだが、いずれにせよ常に盗難には注意する必要がある。(本当のプロが本気で狙ったら、どんな車でも持っていかられてしまう模様だが。。。)

といった感じで、生活のいろんな場面で、やはり盗難、所持品に対する感覚が日本と少し違うな~ということを感じている次第である。日本と違って、自分はそれを所持していると思っていても、他人はそうは思ってくれない。赤の他人は、信用できない人。だから所持品は、「自己責任」で「物理的に」ちゃんと所持すること、そんな感じだろうか。
BMW 紺色のエクステリアに、クリーム色のインテリアついにマイカーを購入した。04年モデルのBMWの3シリーズである。これまた高い車を買ったなぁ、思われる方が多いと思うが、意外とお得である。まず、値段自体が日本に比べて安い。新品のBMWでも値切れば2万ドル台で買える。それから、アメリカは中古車市場が非常に発達しているので、日本に比べて高値で売りぬくことができる。一番流動性が高い(売りやすい)車はやはり日本車で、トヨタのカムリやホンダのアコードだが、BMWはネットで調べてみると年数がたっても値段がほとんど落ちない。(ベンツは、BMWより一回り安い値段で取引されている印象。値段の落ちも早め。)00年モデルも、03年モデルも、それほど値段は変わらない。2年間、丁寧に乗ってうまく売れば、差し引きは相当安いのである。(実際、訪れたどのディーラーにも、2年後の引き取り価格を聞いて回ったが、差し引きは結構安い。)安くて市場で人気のない車種を買うよりは、2年間楽しめて、メリットがある。さらに、保険が高いと思われるかもしれないが、いろいろな車種で見積もりをしてみると、BMWは意外に安い。トヨタ車などは最も車盗難の被害にあいやすいが、BMWはカー・セキュリティがしっかりしており、さらにドライバーが任意でのセキュリティ装置をつけている可能性が高いため、盗難の被害にも比較的合いにくいということらしい。(それでもアメリカでは車盗難の被害には注意する必要があるが。私も実際、いくつかオプションの盗難防止装置を取り付けてもらった。)日本でBMWに乗ると、高い。帰国後にBMWに乗るならば、今乗っておいた方がはるかに安いし、帰国後はまた違った車を楽しめる。BMW@自宅のparking1週間の旅行ですでにアメリカ車はスポーツタイプ、セダンと両方満喫したし。いろいろと理屈をつけたが、この機会に便乗して、あこがれのBMWを買ってしまってちょっと興奮している。これからは移動の時間が楽しみだ。

ところで、マイカー購入を通して、やっぱりアメリカは車に関しては便利な社会だなぁなどと感じた。購入の際には、ネットでめぼしい物件を調べてコンタクトをとったあと、いくつかのディーラーを訪れた。中でも、Palo Altoの南にあるSan Joseには多くのディーラーが軒を並べており、Auto Mall、Steven Creek BLVDといった車ディーラーの集積地帯ができていて、訪れてみるとその規模と数に圧倒される。San Jose, Auto Mall写真は私が車を購入したディーラーのあるAuto Mallの通りだが、どこまでも続く道の両脇に、所狭しと展示車がひしめき、たくさんのディーラーの看板がドライバーを出迎えてくれる。車の購入プロセスも、台所の石鹸を買うのと同じくらいシンプル。基本的に購入の意思を伝えると、契約書にサインをし、(さすが訴訟社会、サインは20か所くらいさせられるが)あとは保険に入っていればそのまま乗って帰ってもOK。自動車局への登録は勝手にディーラーがやっておいてくれるというシンプルさだ。それからガソリンの値段も、ここ数年で急激に上がったと言えども日本に比べると圧倒的に安い。駐車代もしかり、Stanford地区は中でも非常に高いと言われているが、それでも私の実家がある神奈川県で借りていた値段よりも安い。もちろん高速道路もご存じの通りただ。こちらに来てからあらゆる場面でオペレーションの稚拙さを感じてきたアメリカ社会だが、殊、自動車に関してだけは多くのものが日本より安価で、便利で、シンプルに整備されている印象だ。

自動車局の受験コーナー(DMV)さて、あとは自動車免許の取得だ(国際免許が半年は有効だが)。すでに先日筆記試験に出かけてきて、一応合格をもらうことができた。あとは数日後に実技試験を受け、合格すれば晴れてカリフォルニア州の運転免許をゲットできることになる。ちなみに、写真はサンフランシスコの自動車局での筆記試験実施の写真。筆記試験というと、自動車局(DMV)日本では教室のようなところで試験監がいて。。。というイメージを持つが、アメリカでは受付の横の小さなスペースで、皆がワイワイしている中、立って適当に試験をうけ、受付のおばさんに渡してその場で丸をつけて返してくれるフランクさ。友人は合格に満たない点数を取ってしまったらしいが、あなた日本で免許持ってるんでしょ、と言われ、合格になったらしい。寛容だ。筆記試験と同時に行われる視力試験も寛容だ。受付の奥に無造作にアルファベットの書いてある紙が垂れ下がっており、試験の手続きをするついでに、読んでみて、と言われ、読んでみるとそれで終わりである。確かにそれでいい気がする。とてもフランクで効率的である。

そんなわけで、ようやくあこがれの愛車をゲットし、生活の足を固めることができた。セキュリティにも投資したし、大切に、大切に乗るようにしよう。
Escondido VIllageついに、これから1年間お世話になるStanfordでの住居が確定した。キャンパス内にある大学院生以上の独身者用の寮だ。キャンパスの端にはEscondido Villageというおもに家族向けの寮の住宅街があり、そのさらに端っこに私のお世話になる寮である、Escondido Studioという建物はある。Escondido Villageの敷地内には家族連れの人たちが利用する幼稚園などもあり、本当に閑静な住宅街を思わせる緑豊で平和な空間である。

Escondido Studio 外観こちらがお世話になるEscondido Studioの外観。4階建の建物で、すべてが独身者向けの寮となっている。中は奇麗なホテルを思わせるような清潔なつくりで、部屋も予想以上に広く、きれいで非常に感動してしまった。(生活水準を落とす美を説いた直後に、こんな奇麗な寮に入居することになり、なんだか自己矛盾を感じるが。。。)無線LANが完備で、カラーレーザープリンターが各建物ごとについており、またランドリーも利用がただという、これまで貧乏生活をしていた身にとっては信じられない環境である。
お部屋お部屋
入居日当日にさっそく、各種の生活必需品を大量購入してきた。まだ車がないので、同じくStanford GSBに通う予定の日本人の友人に車に乗せてもらい、Walmart初体験をしてきた。アメリカ大量消費社会、従業員低賃金労働、収益株主還元の象徴ともいえるWalmartである。ベッドシーツのセットから鍋・食器から何から何まで買って、合計二万円強。破格の値段である。

以下はようやく住居のセットアップがひと段落した状況での写真。部屋のコーディネートなど、本来は好きなのだが、お金にそれほど余裕がないので実利優先で買いそろえた感じだ。とりあえず、ようやく住所も確定し、生活の道具も大方揃い、勉強の体制が少しずつ整ってきたといった感じである。
部屋(セットアップ後)部屋(セットアップ後)部屋(玄関のオブジェクト)
日々の移動は、自転車が大活躍。ただしキャンパス内ならともなく、キャンパス外となると車が必須である。もちろん、キャンパス内とキャンパス外の主要ポイントを結ぶ無料のシャトルバスがたくさん走っているので、利用すれば移動はできるが、やはりとても不便。そうなると次のターゲットは、当然車の購入である。大きな買い物。方向音痴だけど、大好きな車。わくわく。何を買おうかな。楽しみだ。
私が信頼しているアメリカ人の友人に、「アメリカの実情を知りたい」と頼んで紹介してもらった本を読んでいるが、非常に面白い。題名は「Bowling Alone(独りでボーリング)」。筆者はRobert D. Putnam。2000年執筆と多少古く、500ページ超の大作なので読むのに骨が折れるが、Bowling Alone内容を一言で言うと、アメリカの人的繋がりが1980年代以降希薄化してきており、アメリカ人の社交的なイメージとは逆に、人々はどんどん家庭に籠り、「他人と付き合わない国民性」になってきている、というもの。Robertはアメリカでおこっている事実、およびその理由、筆者の考える対策を、あらゆる切り口から、丁寧に数字や論文を引用し、包括的に論じている。学期が始まれば次々と本を読まないといけないので、今のうちに記しておこう。

Robert曰く、アメリカ人は1960年代をピークにして(特に1980年代以降)、人間同士がface-to-faceで関わるような集団社会活動への参加を急激に減らしていったという。その傾向は、あらゆる面(政治活動、市民活動・地域活動、教会・宗教活動、ボランティア・慈善活動、その他の友人・知人付き合い等)において否定しがたく観察され、Robertはその一つ一つを丁寧に論じている。これらの集団社会活動への参加が減った結果、必然的に職場が彼らの人間関係、社会活動としての最大の場となっていくはずだったのだが、この職場も80年代以降の解雇と給与カットの嵐、社外からの経営者派遣、結果主義の徹底などの中で、従業員の会社への帰属意識、モラルともに一気に減退してしまい、アメリカ全体としての人的繋がりが根底から薄れることにつながったという。Bowling AloneRobertは、「人的資本(Human Capital)」、「物的資本(Physical Capital)」と並び、「社会的資本(Social Capital:人的資本同士が繋がり合う中で蓄積・構築されているネットワーク的資本)」という概念を導入し、「社会的資本」が現在のアメリカにおいて崩壊の危機に瀕していると警笛を鳴らしている。アメリカにおける職場モラル、人間関係が崩壊している点についてはなんとなく感じていたが(皆、夕方になるとそそくさと職場を後にし、家庭に帰る。職場の中での飲み会や、上司が部下を飲み会に誘ったりすることは極めて稀で、あっても多くの人が参加しない。)、その代わりにそれ以外の集団社会活動に生き甲斐を感じているものかと思っていたが、そうでないとすると大変興味深い話だと思う。(ただし注意しないといけないのは、過去に比べてアメリカの社交性が落ちてきていると論じているだけであって、必ずしも世界の中で、または日本と比べてアメリカの社交性が低くなったと論じているわけでない。)

なぜ人々は、各種集団社会活動への参加をしなくなってしまったのだろうか。Robertは、大きく4つの理由を挙げている。
  1.時間とお金の切迫
  2.郊外への移住ラッシュ
  3.テレビの登場
  4.世代交代

1.時間とお金の切迫:
1人あたり賃金の減少、女性の社会進出を背景にして、多くの家庭が共働きにシフトしたのが大きな原因。家庭全体でより多くの時間が仕事に使われ、社会活動に投入する時間とお金の余裕がなくなったという。筆者は特に書いていないが、80年代以降の貧富の格差拡大の結果としての中流階級の崩壊、つまり経済貧困層の人数増大(一部の富豪が富を吸い上げ)によって、多くの家庭が金銭的に苦しくなってしまった現状も影響しているだろう。

2.郊外への移住ラッシュ:
アメリカの車通勤この期間、多くの人が都市から多少離れた地域に移住した。(いわゆるドーナツ化現象、スプロール現象。)その結果、多くの人が毎日より多くの時間を車内で独りで過ごすようになったという。(確かに、ビジネス地域の朝と夜の渋滞は本当にすごい。経営コンサルタント時代にロサンゼルス・オフィスを訪れた際、通勤に3時間くらいかけて来る人はざらだという話を聞いて驚いたのを記憶している。アメリカで車内での有料サテライトラジオや本の音読CDなどが普及しているのもこれが背景。ロスは中でも渋滞がすごい地域らしいが。)また多くの人が近所との距離が遠めの土地に広い一軒家で住むことになり、それも多くの人と交流する効率を落としたという。また郊外化とともに同じ人種の集落化が起こり、同じ価値観を持つ人同士が小さなコミュニティで完結し、大きな交流が減少したという。Robertがあげる4つの主な理由の中で、最も個人的に予想していなかった理由であり、興味深い。

3.テレビの登場:
説はあまりいらないだろう。テレビやテレビゲームの登場が、地域活動や友人と外で遊ぶ代わりに部屋で一人でテレビを見る時間を劇的に増やす結果となった。今やテレビを観ることが、アメリカ人の最大の余暇の過ごし方になっているという。

4.世代交代:
Face-to-faceでの社会的集団活動に消極的な傾向は若い世代ほど顕著であり、その若い世代がどんどん社会のマジョリティになっていくに従って、社会全体の傾向により大きな影響を与えるようになってきているというもの。(なぜ若い世代ほど傾向が顕著かの説明はRobert十分していないが、)そもそも、世間づきあい・社会活動・教会活動・慈善活動などは、親を見て学んでいくものだろう。特に社会活動や政治活動などは、大人にならないと普通参加しない。自分の親が、小さいころから社会的集団活動をほとんどしていなければ、それを見て育つ子供が社会的集団活動を学ばないのは当然の成り行きだろう。また、テレビ等、新しい文明の利器に最も敏感なのは、言うまでもなく若い世代である。

その他、興味深いものとしては、家族の平均構成人数の縮小化(離婚・シングルマザー家庭等の増大や子供の数の減少を原因とする)が、結果として家族を介して付き合う人の数を大きく減少させた点も指摘している。確かに、恒常的な人付き合いの多くは親の知り合いや、兄弟の友達、配偶者の友人などから広がっていくことが多い気がする。いずれにせよ、これらの要因が相まって、アメリカ人を社会的集団活動の場から追い出し、結果として仕事が終わればそそくさと自宅に帰り家庭(または部屋)に籠るアメリカ人像を作り出してしまったのだという。

同時に、Robertはアメリカ人がアメリカ人同士を信じなくなり、他人を助けるような心構えが冷え込んできており、信頼関係・相互依存関係がアメリカ全体で衰えてきている点を指摘する。因果関係は証明できないが、アメリカ人が社会的集団活動から遠のいてきたきた点と関係がないとは言えない。

日本は、大丈夫だろうか。ビジネスの面(職場の面)においては、アメリカの悪しき側面から学ぶ点が大きいだろう。地域活動、政治活動、(宗教活動)、世間付き合いなどは、どうだろうか。日本人の社交性は、まだ、大丈夫だろうか。それとも、アメリカと同じ道を歩んでいるのだろうか。
(この本は2000年執筆ということもあり、インターネットの「社会的資本」への影響については、残念ながら十分には論じ切っていない。)

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以下、面白いと感じたアメリカの変化の事実を、忘れないようにいくつか断片的に書いておく。

1)インフォーマルな友人・知人つきあい(食事、パーティー、なんでも)・・・・・
 ・ある1日に友人つきあいした人の比率 ▲4割: 65%(65年) → 39%(95年)
 ・使った時間の平均(
1日) ▲3割: 85分(65年) → 57分(95年)
 ・1週間に他人の家を訪れた人の比率 ▲4割: 約40%(`80前半) → 約25%(95年)
60年代までのアメリカでは、お互いの家を訪れあい、夜遅くまで語り合い、しばしばそのまま泊まったりする付き合いが典型的な友人・知人つきあいの形だったという。この30年間で、そういったインフォーマルは友人・知人つきあいは劇的に減ってきているという。昔は一つの交流の場であった友人とスポーツを楽しむ機会も劇的に減っており、逆にスポーツジムでの運動、一人でのジョギング、部屋での運動など個人での運動、またスポーツ観戦が相対的に増えている。スポーツ観戦を友達とするということはあるだろうが、全体として、スポーツの社会的資本としての価値も落ちてきているということだろう。


市民活動・地域活動・・・・・
 ・地域活動への積極参加市民の比率 ▲5割(半減): 70年代 vs 90年代末


逆行するが、実は表面的な社会活動団体の数は増えているという。
 ・NPOの団体数 2倍: 60年代 vs 90年代末

しかし、実は65年以降に設立された大きな団体の4分の3が地域に支部を持たない団体で、インターネットや電話で活動への賛同者を募り、資金を集めるような団体で、本当に市民がお互いに集まって活動をするような、社会的資本に貢献するような団体は、逆に数が急激に減っているという。これらの団体は、「ペンとサインだけで参加する団体」で、アメリカ人の多くが「自分は複数の活動団体に所属している」「複数の団体に寄付している」というものの、実質的な人的繋がりへの貢献はほとんどない(=社会資本としての価値は実はない)のが実態だという。


3)宗教・教会活動・・・・・
 ・毎週教会に行く人の比率 ▲~2割: 約45%(60年代) → 35~40%(90年代)


まず、宗教を信じている人ほど、社会的活動への参加率が高いという。教会や集会での定期的集まりが人的繋がりを構築し、結果として様々な活動に参加する契機を作るという。またキリスト教精神から、ボランティアなどへの参加率も当然に高くなるという。
 ・1日に話す人の平均数 +4割: 信仰あり vs 信仰なし
 ・ボランティア参加率 +3~4割
: 75~80%(信仰あり) vs 55~60%(信仰なし)
 ・慈善活動 参加率 +約7割: 50~60%(信仰あり) vs 30~35%(信仰なし)

教会に関する記述だけ、筆者の書き方が非常に慎重なのが面白い。やはりアメリカはそれだけ信仰深いし、信仰が衰えているという記述は議論を呼ぶことなのだろう。Robertは決して「信仰が衰えている」とは書いていない。「集団としての信仰活動への参加が衰えている」とだけ述べており、おそらく信仰の個人化が進んでいるのだろうと、筆を和らげている。いずれにせよ、多くの社会活動の根源ともなる集団での信仰活動の比率が下がっており、宗教が社会的資本としての価値を落としているという指摘は変わらない。

4)政治活動・・・・・
 ・大統領選 投票率 3割: 約70%(60年代) → 約50%(90年代:継続下落)
 ・政治活動への市民参加率 5割(半減): 60年代 vs 90年代


大衆の政治活動への関心低下とは逆に、政治団体の数はどんどん増えているという。この背後には政治活動の「プロ化」があり、一般市民が草の根活動(近所にビラを配る等)から手を引く一方、プロの政治活動(電話マーケティングなど)が増えてきているという。政治活動の全体の傾向は、日本も多かれ少なかれ同じだろうか。

以上、断片的に記しておいたが、詳しい統計の定義や出展、計算方法は直接原典(Bowling Alone)を当たってほしい。

アメリカに来てから1か月。まだそれほど日本食が恋しくなる段階ではないが、今日、この周辺に住んでいる日本通のアメリカ人の友人のお勧め(?)ということで、このあたりですごくおいしいという焼鳥屋に連れて行ってもらった。
Sumika(炭家)場所は、Los AltosというPalo Altoの隣町のダウンタウンの中にあった。名前はSumika(炭家)。店員は全員(少なくとも今日は)日本人。日本酒、焼酎ともに日本の本格居酒屋並みの品揃えで、焼き鳥はもちろん炭火。焼き鳥以外も、小料理もとてもレベルが高かった。オーナーは女性の方で、とにかく徹底して日本からモノを直接仕入れ、強いこだわりを持ってお店を経営されているらしい。おつまみでは、梅水晶という、サメの軟骨と梅肉をあえたものがおいしかった。(日本でも食べたことがなかった。。)日本語と、おいしい日本料理に恋しくなったら、またここに来よう。

http://sumikagrill.com/pb/wp_5aa45ad1.html?0.7684323228675347

さて、閉店までお店に居座ったその帰りには、私を炭家に連れてきたくれた日本通のアメリカ人と、お店の日本人店員何人かを連れて彼の実家にお邪魔することにした。彼の実家はお店から車で10分のところにあり、丘の上の閑静な住宅街の中にあった。豪邸である。プールとジャグジーが自宅にあり、夜中の12時にみんなでジャグジー&プールに入ることにした。久しぶりにアサヒの生ビールを飲み、おいしい焼鳥を食べ、みんなでジャグジー日本人と日本語を話し、その後は酔った状態で夜中の12時にジャグジー&プールである。ぜいたくなのか、なんなのか分らないが、楽しかった。プールで泳ぎながら、ふと、同じ日本人ということだけで、こうやってお店の店員とすぐに仲良くなれて、お店で飲んだあとに一緒に遊びに来しまったりできるのも、外国ならではなのかもなぁ、と思ったりした。
Caltrain3週間のUC Berkeleyにおけるサマーセッション、その後の1週間強の旅行(Las Vegas, LA, National Parks)を経て、ついに目的地であるStanford入りをした。Stanford大学があるPalo Altoという町は、San Franciscoから電車で1時間程度で来ることができる。BerkeleyがSan Franciscoの東にあったのに対し、Stanfordは南に位置する。お互い距離が近いため、何かとライバル関係がある。(Berkeleyの人はStanford批判をして、またスポーツで負かして楽しんでいるし、Stanfordの人はBerkeleyが勝手にライバルと思っているだけで、相手にしていないんだと言う、微妙な関係^^;。)

旅行の終着駅であるサンフランシスコ国際空港からStanford入りするため、乗りなれたBartという地下鉄を乗り継ぎ、Millbraeという駅で地元の電車であるCaltrainという2階建ての何とも古めかしい電車に乗り換える。このCaltrainがなんとも風情があって面白い。日本の一昔前の電車のような旧式のデザインに乗り心地。そして乗車前に駅でチケットを買うのだが、これがエリア制(このエリアからこのエリアは××ドル)になっていて最初は分かりにくい。南に下ること30分、Palo Altoの駅で下車をしたのだが、結局一度も車掌さんはチケットを確認に来なかった。(ただ、その後何度かCaltrainに乗った経験では、たまに車掌がやってきて、もっていないと大変なので必ず買うようにしているが)

Palo Alto ホテルの部屋さて、ついにStanford大学のあるPalo Altoの駅に降り立った。私のホテルはダウンタウンの真ん中にあるとても小さなホテルである。まずホテルの値段が、Berkeleyと全く違う。1泊100ドル以下でないと絶対あり得ないと思っていたのだが、探すのに苦労した。いわゆる高級ホテルが立ち並び、170,180ドルは当たり前、300,400ドルのホテルも沢山ある。その中で、唯一バス・トイレ共有の安い小さなホテルを見つけ、オリエンテーションが始まるまでの1週間弱を過ごす居場所とした。入ってみると、とてもきれいで可愛らしいホテルで、従業員もきさくだったので正解だったようだ。

Palo Alto downtownそして、Palo Altoの町。これが、すごく洗練されている。一言で言うと、お金持ちの町。雑多な人(ホームレスを含め)が行き来していたBerkeleyの雰囲気とは全く異なる。ダウンタウンといっても、University Avenueという1本の通りの周辺だけなのだが、オープンテラスの奇麗なレストランが立ち並び、高級な車がたくさん駐車している。歩いている人の雰囲気も、セレブな感じの人が多い印象だ。食事も、Berkeleyではアメリカン(ピザ、ハンバーガー、サンドイッチなど)、メキシカンのレストランが数的にも圧倒的集中だったが、こっちではイタリアン、フレンチ、日本、タイ、創作料理など、いろんな種類のレストランがあり、より日本に近い感覚で生活ができそうだ。ただ、いずれも値段が多少高い。Palo Alto downtown

Stanford Shopping Centerもう一つの驚きが、Stanford Shopping Center。大学の所有地内に、大型のショッピングセンターがあるのだが、有名どころの大型デパートが数軒立ち並び、かつグッチ、ビトン、ポールスミスなどの有名ブランド店が軒を並べる様子には度肝を抜かれた。地域の人も沢山ここに買いに来るということだが、大学の所有地内にこんな高級(巨大)ショッピングモールがあるという事実が、私にとって驚きだった。いろんなレベルの人が一緒に集まっているようなBerkeleyの自由な雰囲気に比べ、Palo Altoはお金もちの町なんだな、というのが第一日の最大の印象だ。

大学の構内はまだそれほど散策していないが、とにかく構内までの距離が遠い印象だ。ダウンタウンから大学の構内にアクセスするには、Palm Driveという、ヤシの木が並ぶメイン通りを通っていくことになるのだが、これがとてつもなく長い。私は偶然、近くに住むアメリカ人の友人に彼の車(ベンツのオープンカー!)で大学構内を簡単に案内してもらえたので大丈夫だったが、歩いていこうと思うと、20分くらいはかかってしまうだろう。Stanford Palm Driveただ、一旦校内に入れば、中での移動は徒歩でも自転車でも簡単にできるイメージだ。それに、無料のシャトルバスが構内および、構内とダウンタウンやCaltrainの駅を結んでおり、それらを使えば車がなくてもなんとか生活はできそうな感じだ。ショッピングセンターもあり、ダウンタウンの店もあるので、生活自体にはそれでも苦労はしなさそうだ。(Caltrainに乗ればSan Franciscoや空港にも行ける。)

いずれにせよ、Palo Alto入り最初に気づいたのは、同じ西海岸の大学とはいえ、Berkeleyとは雰囲気が大きく違うということ。洗練された、小さな、特別な(悪い意味では孤立した、理想郷的な)街という印象だ。サマーセッションでBerkeleyというもう一つ違った大学を経験できて、よかったと思う。Stanfordはシリコンバレーの頭(地理的にも、実質的にも)に位置し、Sand Hillといった近隣の地域は世界のベンチャーキャピタルの総本山にもなっている模様で、やはりほかの地域に比べても多少特別な(いい意味か悪い意味かは別にして)要素が多い大学なのかもしれない。ただ、とりあえずこんな素敵なおしゃれな街で2年間生活できることは、とてもうれしいことだ。(大学に敷地を寄付したStanfordさんの寄付の条件で、あまり高い建物を建てられなかったり、見栄えを良くする規制がかかっているとのこと。)まずはここで生活のセットアップをし、1週間後から、いよいよビジネススクールのオリエンテーション(1週間の共同旅行)が開始することとなる。
1週間のナショナルパーク巡りも後半戦を迎えた。1つ1つのナショナルパークをじっくり見た前半戦と異なり、後半戦は駆け足で多くのナショナルパークを巡っていく予定だったが、トラブルあり、出会いありといった、前半戦とは違ったいろんなことを感じる旅となった。

土砂降りの中の"崖登り"
目の前に現れた巨大な台地後半戦初日の朝は、土砂降りの雨で始まった。天気予報によると、大型の台風の影響で今日明日とほぼ断続的な雨になる模様。とは言ってもこの場所に留まっていては飛行機の日時にラスベガスに戻れない。ゆっくりでも移動を続けながら、天気と相談して観光をしていこう。

さて、サバンナを走り続け、雨がゆるやかになり始めた昼前に、巨大な崖は突如として目の前に現れた。Grand Canyonで見たような、巨大な台地である。道路はまっすぐとその台地に向かって伸びている。これほどの切り立った崖だから、当然トンネルを抜けて台地の上や向こう側に出るのだろうと思いながら、さすがアメリカの山は違うなぁなどと感心しながら車を走らせていた。近づけば近づくほど崖の巨大さは威圧感を増す。と同時に、道路は急に細くなり、上り坂になり始めた。トンネルの入口はまだかな、と思いながら少し車を走らせると、舗装道路が終わり、完全な土の山道に。え?・・・・・。 そう、その通り。この道路はこの崖を正攻法で登ろうとしているのだ。参ったなと思いつつ、天気が崩れないことを祈りながら、この道を避けては目的地に行けないので、腹をくくって道を登り始めた。

崖山を登ること5分、天気が一気にあやしくなり始めた。遠くで雷が鳴り、雨は急に強くなってきた。と思うや否や、雨は土砂降りに変わり、ワイパーを最速にしても前が見えにくいほどの雨になってしまった。最悪だ。Uターンができるほどの道幅はなく、道の横はすぐに切り立った崖。日本のようにガードレールなどないし、舗装もされていない。簡単に落ちられる山道だ。ゆっくり、ゆっくり上るしかない。とにかく崖から落ちないように、山側に車をこすりつけるようにして上って行った。スポーツカーなど借りなければよかった。だんだんと赤い泥水が道の脇に流れを作って流れ始め、山側の岩からも赤い泥水が水しぶきを上げて流れ落ちていくようになった。崖道の登りはじめ途中、1台の車とすれ違った。大きなキャンピングカーだった。偶然、出会った場所が膨らんだ道でよかった。私が崖側に怖々と停車し、ゆっくりとすれ違った。さぞ上から下りてくるのは怖かっただろう。でも雨が本格的にならないうちにここまで降りてこられたのは幸運だったともいえる。その後はたまに水たまりにタイヤを取られ、タイヤを空転させたりしながら、肩に力を入れ細心の注意を持って必死で急峻な崖を亀のように登ること30分以上、ようやく道がなだらかになり始め、崖からの距離が遠くなり始めたときの安堵と言えば、言葉に表せないほどだ。頂上に登ると、そこは木々の茂った森林のようになっており、完全に平坦な台地となっていた。思わず車の中で喜びの雄叫びを上げてしまった。本当に怖かった。大きな荷物を持っての命がけの峠越えというのは、本当に厳しいものなんだろうな、などと考えた。舗装なしの崖道といい、土砂降りの雨といい、なかなか日本では体験しえない自然のスケールだった。それから15分もたたないうちに、向こうの空が明るくなり始め、雨はあがっていった。

雨が去り ~Lake Powell: お金持ちの遊び場~
パノラマ絶景本来であれば今日はMonument Valleyから北上し、Natural Bridges National Parkという自然が作った橋が複数ある地域を通過しつつ、西に進路を変えてLake Powellおよびその周辺のGlen Canyon National Parkという大きな国立公園を見て回る予定だった。だが、雨による徐行運転で予定は大きく遅れ気味なため、思い切ってLake Powellだけに目的地を絞って、ドライブをのんびり楽しむことにした。大自然の中を走っていると、決して国立公園でなくても、たくさんの壮大な景観を目にすることができる。特に眺めが美しいところでは、必ず路側帯が広くとってあり、車が停車できるようになっており、また「Scenic View turn off」という展望エリアへの分かれ道を示す標識がところどころ立っている。今日はそんな寄り道を沢山しながらドライブを楽しもう。

Lake Powell レストラン夕方前に、目的地のLake Powellに到着した。この湖もコロラド川の一部で、西部の国立公園的な奇岩に囲まれる形で静かな湖が広がっている。ここではお金持ちが自前のボートを持ち込み、クルージングを楽しむ場になっている模様だ。そんなわけで、回りの車はほとんどが自分のボートを車で牽引している。Lake Powellといっても非常に広大な湖なわけで、どうやら私は観光スポットというより、レジャースポットの地点に到着してしまったらしい。結局、湖をのんびり眺めた後は、湖を一望できる奇麗なレストランでおいしいステーキをいただき、昼の土砂降りの崖道からは考えられないような平和な時間に癒されるのであった。

山道のトラブルで出会ったCowboys ~田舎の温もり~
次の日、Bryce Canyonに向かう山道の途中で、大きなトラブルが起こってしまった。前日同様の激しい雨が降る山道の途中、車が動かなくなってしまったのだ。なかなかあることではない。仕方なくロードサービスを呼ぼうにも、山道の中、携帯電話が通じない。仕方なく雨の中、傘を持っていなかったので車の外でびしょ濡れになりながら大きく手を振って他の車を止め、携帯電話が通じる場所からロードサービスを呼んでもらった。その20分後、再び空は晴れ渡った。

山道ロードサービスが到着し、とりあえず車はもう動かないということでいよいよレッカーすることとなった。最悪の事態だ。一番近くの小さな町までレッカーして、後日レンタカー会社に引き渡すという。しかし私の宿はその町から60マイル(110キロ)以上先のBryce Canyon近くにとってある。アメリカのユタ州のど真ん中で、車がなければ何もできない。これは困った。

とりあえず一番近くの町まで、一緒に連れて行ってもらうことにした。ロードサービスは、地元の小さな自営業者のようだった。60歳前後のおじさんと、20歳前後の若者の2人組だ。とにかく変なことにはならないように、車の中では会話を絶やさないようにした。話を聞くと、どうやら変な人ではないようだ。ひと安心した。

町についてレンタカー会社に電話したところ、代行の車を出したいが、近場に事務所が全くないとのこと。これではとにかくBryce Canyon近くの宿まではなんとか連れて行ってもらわないと、この町で立ち往生することになってしまう。事情をCurtさん(ロードサービスのおじさん)に説明し、なんとかBryce Canyonまで連れて行ってほしいと交渉するが、次の仕事が立て込んでいる模様で、まったく雲行きが悪い。思い切って、こんな提案をしてみた。

「本当に困っているんだ。1マイル2ドルでどう?」

Curtの動きが止まった。
1マイル2ドルか。…悪くないな。いいだろう。その話乗った。」

なんとも簡単に話がまとまった。交渉は、してみるものだ。

まずはCurtの事務所に行って車をおろしてから、Bryce Canyonまで私を送ってくれることになった。どうやらCurtはユタ生まれユタ育ちで、小さいころからCowboyとして育ったらしい。Curtの車州の外に出たことは2,3回しかないという。俺はこの土地が好きだし、この土地を出たくないんだ、と話す62歳のおじさんの笑顔は、本当にこの土地が好きなんだろうな、と思わせるものがあった。やんちゃなCurtは、若いころはしょっちゅう喧嘩をやっていたらしい。ナイフで刺されたあと、骨折の傷跡など、いろいろと運転しながら見せてくれた。仕事も30歳を過ぎてからガソリンスタンド店員、ボディガード、車の修理屋、飲食店経営などいろんなことに手を出し、50歳くらいから今のロードサービスの仕事をしているという。35人もの孫がいるとのことで、誇らしげに携帯電話で写真を見せてくれた。35人の家族。。。 それは立派なものである。ただ聞いてみると、4回結婚をしているらしく、毎回結婚するたびに向こう側の子供もくっついてくるので増えてしまったとのこと。

Curtの後を別のトラックで付いてきている若者は、18歳のRay。3か月前に雇ったとのことだが、すごくよく働くとのことで、Curtは息子のように可愛がっている。ユタの外から来たとのことだが、家族の暴力などで結構大変な目にあって逃げてきて、今ここにたどり着いているような感じらしい。前はどこにいたのか聞けなかったが、ドラッグや犯罪が多い地域に住んでいた模様だ。

Curtのハンバーガー途中、おなかも減っているのでご飯を食べることにした。Curtが「本場のクラシックなハンバーガーを食べさせてやる」というのでついて行くと、Curtの奥さんがパートとして働いているレストランだった。ただ、そこで食べたハンバーガーは、とてもおいしかった。ちゃんとしたハンバーグを使っていて、かつフレンチフライも、ポテトをそのまま揚げた本格的(?)なものだった。空腹だったしおいしかったのでモリモリ食べていたら、結局全ておごってもらってしまった。ハンバーガーレストランでは、奥さん以外に、Curtの娘も2人ほど働いていた。テーブルに、Curt、奥さん、娘2人、Ray、そして私。アメリカ西部の田舎の家庭の団欒に、私だけ加わっているような不思議な体験をさせてもらった。話す内容は、本当に素朴。来週子供の1人が誕生日だったのだが、それをCurtが忘れていて娘に叱られていたり、誕生日に何を食べるかみんなで考えたり、近所で起きたちょっとした出来事の噂話をしたり。コミュニティーが固定的で都会的なエンターテイメントがない田舎の人間付き合いというのは、どこの国も似た感じなのかなーなんてことを考えたりした。

その後は調子に乗って、彼の自宅まで案内してもらった。本当に田舎だった。Curtの車工場隣の人の家まで、車で15分だという。家には十数匹の犬がおり、Curtが帰ってくると、車に一気に走り寄ってくる。轢かないか心配だったが、降りてみると大丈夫だったようだ。車を降りると、一斉に犬たちが私の足に鼻をくっつけてきたり、遊んでくれと飛びかかってきたりする。そんな犬を引きずりながら敷地に入ると、自宅周辺には廃車が山のように積み重なっていた。それらの部品を組み合わせて自分で車を作るのが趣味だという。ちなみに今日運転していた車も、Curt本人が組み立てた車とのこと。自慢の修理工場も見せてもらった。修理工場では、ちょうど真っ黒のクラシックカーが組み立てられている途中だった。そんな感じで、自宅で少しくつろがせてもらっていると、Curtに緊急の仕事が入り、急遽18歳のRayが私をBryce Canyonまで送ってくれることになった。お世話になったCurtに別れを告げて、彼の自宅をRayの車で後にする。本当にCurtはいい人だった。

人生初のヒッチハイク
Bryce Canyon近くの宿に一泊泊まり、次の朝を迎えた。さて、車がない。どうしたものか。レンタカー会社に再度連絡するものの、残念ながらこの周辺で車の手配はできないという。ホテルの人に聞いても、タクシーはないとのこと。ただ、ここから15マイル(28キロ)ほど離れた場所に、別のレンタカー会社があるとのことだった。そこまで行けば、別契約になってしまうが車が手に入る。でもどうやって行こうか。ホテルの従業員に輸送交渉をするが、今回はさすがに送ってくれそうにない。「道を歩いて親指を上げれば、地元の誰かが送ってくれるよ」とのこと。つまり、ヒッチハイクか。。。

雨上がりの国道をゆくさすがに道路で親指を上げるのには勇気がいる。変な意図を持った人が止まるリスクもあるので、それは避けたい。そこで、町の小さなスーパーマーケットに潜入し、買い物に来ている地元の人のよさそうな夫婦をターゲットして、交渉をすることにした。三組目で、見事交渉成立。ちょうどそっちに向かう途中とのことで、すんなりと乗っけていってもらえた。全米で最も治安がいい街と言われるユタ州だからこそできたことだろう。なんとかレンタカー会社にたどり着き、ようやくにして車を入手することができた。今回は、Fordのスモールカー。Mustangと比べた燃費の良さに、ただただ感激するのであった。

照りつける太陽と、壮大な大地の彫刻
Zion国立公園

Zion国立公園最後の2日間は、Bryce CanyonとZionをめぐった。予想外のトラブルで時間を食ってしまったので、駆け巡ったという感じだが。アメリカ西部の国立公園群の印象を一言で表現すると、「照りつける太陽と、壮大な大地の彫刻」。砂漠地帯、サバンナ地帯に照りつける太陽は、本当に容赦がない。その地面から湯気が立ち上るような熱射の中、地球が肌を露出したような、壮大な地形が広がっている。いずれも、何億年といった歳月をかけて巨大な地層が雨と風によって削り取られ、複雑かつ美しい地形を形成している。大自然のスケールの大きさと、自然の力の不思議さを感じさせてくれる旅だった。

車窓からドライブ中に見てきた景色を含め、島国日本にいては考えられないスケールの大きさというのを経験させてもらった気がする。本当に、視野に入るものは、空と、大地しかない。そんな地域を何時間も走っていると、アメリカは、本当に大きな国だなぁ、なんてしみじみ考えてしまう。このスケール感、空間感は、アメリカ人の思考に少なからず影響を与えているのではないかと思う。
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