Stanford MBA 心の旅路

Stanford大学でのMBA(Stanford GSB)留学に奮闘する、外資系経営コンサルティング・ファーム勤務の若者の心の日記blog。 コンサルティングの仕事、MBA受験からスタンフォードGSB合格、スタンフォードMBA生活、帰国にいたるまで。

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グランドキャニオンから北東に3時間弱車を走らせると、ネイティブアメリカンであるナバホ(Navajo)族の居留地の中に、モニュメントバレーはその姿を現す。バレーというが、谷というよりかは、平坦な侵食されきった大地に、侵食され残りの台地(メサ)と、さらに侵食が進み柱のように残った奇岩(ビュート)が立ち並んでいるといった方が分かりやすい。

Monument Valleyこの地域は完全にナバホ族の管轄下にある。非常に強い自治権を有しているという。ビジターセンターに車を入れると、さっそくナバホ族の方がツアーの案内をしている。各ビューポイントでは子供たちが、手作りのビーズや壺などを並べて売っている。ただしナバホ族といっても、服装は普通のアメリカン、また馬でなく、車に乗って移動をしている(乗馬観光ツアー用の馬は飼っているが)。ちなみに私が泊まったホテルも、設備は完全にアメリカンだが、従業員はナバホ族だった。

モニュメントバレーは、ビジターセンターからその大まかな全景は一望できる。MutsangとMonument Valleyそこから舗装されていない道を車で2時間程度周遊することができ、ビジターセンターからは見えない岩の向こう側や、さまざまな名前の付けられた奇岩を見て回ることができる。モニュメントバレーの奇岩は様々な西部映画にも登場しているみたいだし、奇岩に迫ってみると、やはりその大きさには圧倒される。ただ、地形自体の奥深さ、壮大さでは前日のグランドキャニオンにはかなわない。ナバホ族の聖地としての神秘性と相まって、モニュメントバレーはその魅力を高めている気がする。

ところで、ビジターセンターに第二次世界大戦の展示があった。ナバホ族は、当時ナバホ暗号部隊として太平洋の島々で日本軍と戦う中で活躍したらしい。当時の若者数百名が従軍し、800種類の暗号を覚え、硫黄島の戦いを含め、前線で情報伝達を行っていたとのこと。1970年代まで、その存在は秘密にされ、従軍した本人の家族にすら、自分が暗号部隊で働いていたことは話せないことになっていたとのことである。
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Grand Canyon国立公園を訪れた。数千万年の歳月をかけ、コロラド川の急流が大地を削り込んでできた壮大かつ深淵な谷のお化けである。リムと呼ばれる平坦な台地をひたすら車で走り、国立公園の敷地に入ったあとも平坦な台地と景色が広がり、どこに壮大な峡谷があるのかと思って走ること10数分。車を降りて木々を歩いて抜けると、目の前に突如として壮大かつ深淵な谷が姿を現し、そのがけっぷちに自分が立っていることを認識するのである。

Grand Canyon (日没)コロラド川は、周辺のリムからはその姿が見えないほど深く谷を侵食している。現在でも尚侵食を続けているというが、その川底までの落差は平均して1200メートルの高さだという。そして驚くべきが、その谷までの急斜面さ。本当に、崖という感じであり、崖の上に立ち、ふと下を見ると、武者震いをしてしまうほどだ。

前日、Grand Canyonから1時間ほどの距離にあるWilliamsという町に泊まり、朝から丸一日大自然を堪能した。比較的涼しく全体が灰色にみえた朝、灼熱と不気味なほどの無音・無風の中、崖の色相と影が一段と黒さを増す昼と続き、午後には自然の怖さを思い知らされた雷と強い風を伴う雨、そして夕方には真っ赤に染まった谷の壁から、雨上がりの紫色の空にかかる大きな虹という絶景まで、丸一日の中で刻々とその美しい姿を変えながら楽しませてくれた。

レンジャーからは日差しの強い昼は避けろと言われたにも関わらず、昼前から谷底へのトレイルを敢行した。コロラド川までの谷底には、往復で15時間程度かかるとのことで、日帰りは絶対にしないようにとのことだったので、とりあえず往復6~10時間と言われる中間ポイントの手前まで降りてみて、上を見上げて帰ってくることにした。

Grand Canyon下り降りてみて感じるのが、予想以上のスケール感。下っても、下っても、さらに深い谷が現れる。そして遥か下に豆粒のように歩く人や馬を見ると、これまで自分がそのスケール感覚を間違えて見ていたことに気づくのである。そしてとくに感じたのが、無機質な岩肌や真っ赤な土と、驚くほどの無音・無風が醸し出す、なんとも言えない不安感。生命を感じないというか、死の匂いがするというか、汗を拭いながら谷底を下り、だんだんとペットボトルの水が少なくなり、誰ともすれ違わなくなるに従って、本当に帰れるか段々と不安になってくる。そこには非情な、ありのままの大地があるだけで、ここで万が一足を滑らせれば、トカゲと同じようにこの乾燥した台地の上で死骸となるだけだろうという感覚。ふとそんなことを考えてしまうと、勢い余ってレンジャーの同伴もなしに下まで下りすぎたような気がし、見上げる急壁を再び登れるかどうかという不安に襲われるのであった。照りつける太陽実際、3時間程度下り、コロラド川を見下ろせるポイントまで来てから登り始めると、登りのきつさに絶句。普段運動をあまりできていない私がここまで降りてきたのは馬鹿だったと嘆きつつ、休み休み、4時間半かけてようやくリムにたどり着いた頃には、口はあきっぱなし、シャツは汗まみれ、スカイブルーのお気に入りのスニーカーは真っ赤な土にまみれた状態だった。そのまま、30分ほど日陰で横たわり、帰ってこられた安堵感とともに、遠方で聞こえ始めた雷の音と、吹き始めた風が谷間を駆け抜ける音を聞きながら、私はもっと生命感にあふれる森と泉と渓谷のような自然の方が好きだなーなどと考えたりした。(容赦のない大自然に打ちのめされたというか。。。)

夕方前には、雨が降り出した。ちょうど日没を見に、シャトルバスで移動中だったが、これまでボタボタと大粒の雨がたまに落ちてくる程度だったのが、急に横殴りの雨に変わり、シャトルバスの窓を打ちつけ始めた。観光客は皆、「あー、これで日没は見られないな」とがっかり。ところが10分もたつと雨はやみ始め、日没時刻(6時54分)の30分前にはすっかりと雨は止んでしまった。

Grand Canyon(昼間)日没の絶好ポイントと言われるHopi-pointで下車し、岩場に座って刻々と赤く染まっていくグランドキャニオンを眺めていた。すると、大きな虹が一本、谷から空に向けて縦に大きな橋をかけてくれた。そしてさらに隣にもう一本、二本の虹が、夕焼けのグランドキャニオンの姿を一層美しくしてくれた。(冒頭の写真:このときの虹は一本)

本当は夜のキャンプファイヤーのイベントに参加しようかと思っていたが、とにかく疲れた。それに、空は雲でおおわれ、降り注ぐようだと言われる星空は今晩は無理そうだとのこと。疲れ切った体にむちを打って、前の車のテールランプしか明かりのない漆黒の夜の闇の中を、ホテルまで帰っていくのであった。
ラスベガスから南東へ50キロほど車を走らせ、フーバーダムを訪れた。ごつごつとした岩肌の山に囲まれた道と登っていくと、その巨大な建造物は突如として目の前に現れた。

Hoover Dam高さ200メートル、幅400メートル、基礎部分の厚さが200メートルで、貯水量は日本の琵琶湖に匹敵するという。1931年に大不況の中、フーバー大統領時代に工事を開始し、120人以上の死者を出しながら365人24時間の工事を続け、4年がかりで完成させた大建造物である。

このダムができる前は、アメリカの西部を網の目のように走るコロラド川の氾濫と干ばつによって、コロラド川周辺の人たちは苦しめられ続けていたという。この巨大なダムの出現によって、川上には世界最大級の人工湖といわれるレイクミードが広々と広がっている。このダムの発電によって、ロサンゼルスを含む多くの西部地域の電源がまかなわれているという。

Lake Mead一目見た感想は、デカイ。そして、堤防の上から下を覗き込むと、高すぎてコワイ。ただ併設される展示館でいろんな説明を聞き、またコロラド川全体のミニチュア模型などを見るうちに、この巨大な川をも寄り集まってコントロールしてしまう人間の勤勉さを感じると共に、巨大なコロラド川全景(グランドキャニオンなども含む)から見ると、ほんのその一点しかコントロールできない微弱さを同時に感じてしまった。(勤勉なアリが寄り集まって道路脇に大きな巣を作っているのを、人間が見つけて眺めているような感じだろうか。)などと切ない気もちを抱きつつ、展示館を出て再びダムを目の前にすると、悲しいかな、ただその巨大さに再び圧倒されてしまうのであった。
Ford Mustang!1週間ナショナルパーク巡りのために、レンタカーを調達した。一番安いランクでお願いしていたのだが、実際に行ってみると同じ値段でMustangでもいいよと言う。もともとスポーツカーを買おうと思っていたこともあり、特にマスタングは欲しい車の一つだった。絶好の試乗の機会とばかりにFord車のMustang(4シーターのクーペ)を調達!ラッキーな滑り出しだ。

ところで、私は極度の方向音痴である。歩いていても、町中などになると間違った方向に行くか、同じ道をぐるぐる回っているかの2通りしかできない。そんな私に、間違った方向に素早く行ける文明の利器をただで与えては大変である。なので、日本ではいつもカーナビが手放せない。そんな訳でアメリカでもカーナビを搭載し、さっそく出発!

運転初日は、ラスベガスからHoover Dam、そしてGrand Canyonまでの合計7時間強(寄り道を含め)のドライブだった。右車線のアメリカでは初の運転、初のアメ車スポーツカーだったので、十二分に気をつけていたはずなのだが。。。さっそく2回も洒落にならない怖い目にあってしまった。

その1: 対向車線突入
運転席からの景色1あれほど右車線、右車線と自分に言い聞かせていたにも関わらず、一瞬カーナビのアナウンスが聞き取れず混乱したまま左折した隙に、気付かずに左車線に入ってしまった。幸い、入った車線の信号は赤だったのだが、左側3車線にずらりと並んだ車のヘッドライトに目がくらみ、クラクション攻撃を受けてヨロヨロと右車線に戻ろうとしたところ中央分離帯があることに気づき、一番右の車とにらめっこした挙句バックして右車線に戻った。こればかりは命を落とした気持ちがした。
右車線!右車線!右!右! 今日は100回言って寝よう。

ちなみに、車線内においては気がつくと極度に右側に寄ってしまう。普段日本で右ハンドルだったため、その感覚で運転すると左ハンドルのアメリカだと車体が右に寄りすぎてしまうのである。ちなみに2枚の写真のうち下の写真は、残念ながら気付かずに右車線の白線を堂々と踏んでいる。右側の車とぶつかる可能性があり、これも初期に頑張って軌道修正しないといけない。車線内では、とにかく左。
左側!左側!左!左! 今日は100回言って寝よう。

その2: ガソリン兵糧攻め
運転席からの景色2といってもこれまた私の過失。アメ車スポーツカーの燃費の悪さを甘く見ていた。6時間くらいのドライブならば余裕で行けるだろうと鷹をくくり、サバンナ地帯に入って一面の地平線を見ながら快調に歌を歌いながら走っていたところ、ふと見るとガソリンのメーターが4分の1を切っているではないか。5時間前後しか走っていなかったが、あまりに脇が甘かった。そう言えば20分ほど前に市街地を通り過ぎ、たくさんのガソリンスタンドを颯爽と駆け抜けたばかりだ。戻ろうかと考えたが、しばらく走ればガソリンスタンドくらいあるだろうと思って走り続けた。この読みがまた甘かった。アメリカのサバンナ地帯を甘く見ていた。走れども走れども一体のサバンナ。見渡す限りにおいて人工物は道路以外に現れない。前後左右、対向車線も車なし。本格的に不安になったころには、戻るガソリンがないくらいガソリンが減ってしまっていた。ガソリンがなくなったら直前に脇に止めて通行車両を待つしかない。ごっつい黒人で銃とか持っていたらどうしよう、誘拐されたらどうしよう、いろいろと妄想を展開させるうちに、いよいよメーターを切って、メモリはマイナスを指そうとしていた。そんなとき、本当にすくいの女神のように、サバンナの真ん中に小さなモーテルと、ガソリンスタンドを発見したのだった。トヨタのスモールカーの燃費を念頭においてはいけなかったみたいだ。

と、こんな低次元なスリル体験もまた、留学、初アメリカ生活の醍醐味(?)だろう。・・・などと不謹慎な冗談を言っているどころでなく、本当に事故だけは避けないといけない。明日からは安全右側(車線内左側)運転、適時ガソリン補給で行きたい。
仲良し2人組最終日に最後の授業が終わり、校舎の前のベンチで各クラスから仲間が授業を終えて集まってくるのをいつも通りの4人組で待っていた。そのうちに、別れの寂しさからだろうか、気がつけばみんな無口になっていた。

ついに3週間のサマースクールが終了した。振り返れば、驚くほどあっという間だった。最終日のディナーは、特に私にとっては心に残るものとなった。週末の計画などを毎回リードして計画していたからだろうか、私の分をみんながおごってくれるという嬉しい出来事があった。「どこの国の人も同じ人間(2007/8/13、サマースクール)」の稿にも書いたが、私はこれまで基本的にはドメスティックな人間であったわけだが、こうして西洋人のコミュニティにしっかりと受け入れられ、何人かは慕ってくれるという関係を築けたことは、ものすごく大きな自信につながった。MBA留学で達成したいことについては「MBA留学の本当の価値(2007/6/12、MBA受験)」の稿で書いたように、「自己拡張」と「切符」であった。「切符」の部分は今回さほど関係しなかったが、「自己拡張」(=英語圏への自己拡張+人間としての幅の拡張)については、サマーに来て本当によかったと感じている。

フランス人&スペイン人&日本人振り返って思う、今回の成功の最大の秘訣は、誤解を恐れずに書くと、「勉強しなかったこと」。もちろん、サマーでは毎日大量の宿題が出た。まともにやろうと思うとクラスが終わって夕食の時間以外は部屋にこもって夜鍋をしないとできない量である。ただ、今回の主眼はまず「自己拡張」であり、そのためには部屋にこもっているより、とにかく外に出る、人と触れ合う時間を最大化することが大切だと思っていた。ゆえに、本来は生真面目な私が「どうにでもなるさ」という気持ちで、先頭を切って街に繰り出すようにしたことが、すごくよかった。結局、徹夜して宿題をすることも多々あったし、授業をアドリブで切り抜けることも多々あったが、3週間を通してみると、特に初期の「夜」への投資があったからこそ、ここまでみんなに受け入れてもらえたと思う。

芝生で一休みサマーで出会った若者たちは、みなすごく素直でいい人ばかりだった。フランス人、中国人、ポルトガル人、ドイツ人、スペイン人、ルクセンブルク人、スイス人。彼ら、彼女らと、言語の壁を超えて笑って過ごした3週間を、私は忘れないだろう。そしてこの中の数人とは、これからもずっと連絡を取っていくことだろう。これほど素敵な時間を過ごせたことに、心から感謝している。長い間の受験と仕事の両立の苦労が、一気に吹き飛んだ3週間だった。

これから1週間、アメリカの大自然を体感しにナショナルパークめぐりをしてくる。そしてその後は、いよいよMBA留学の場である、スタンフォード大学に足を踏み入れることになる。
サンフランシスコ ゴールデンゲートサンフランシスコ 有名な坂道(名前忘れた)ロサンゼルスにサマーの友人たちと観光してきた。仕事でも何度もLAには来ていたが、同じカリフォルニアの大都市といえども、サンフランシスコとは大きく雰囲気が異なる。私は俄然サンフランシスコ派だ。サンフランシスコとロサンゼルスの主な違いは、都市の集約度、地形、気候の3点だと思う。(上4枚がサンフランシスコの写真、下4枚がロサンゼルスの写真)

1.都市の集約度 (San集約 vs LA拡散)
サンフランシスコは頑張れば自転車で十分回れる範囲に集約している。ユニオンスクエア、マーケットストリートなど都市の中心がはっきりしており、その意味で観光客にとってはとてもわかりやすい。一方のロサンゼルスは、とにかく面積が広く、ダウンタウンといっても複数に中規模のものが分散している。移動には車が必須で、飛行機から見るとただっぴろい大地にひたすら碁盤目の道路と都市が広がっているイメージである。

2.地形 (San坂道/岬 vs LA広大平坦)
サンフランシスコ 路面電車サンフランシスコと言えば、坂道とそこを走る路面電車をイメージする人も多いだろう。とにかく坂道が多く、また海との境界も断崖、岬のようなイメージで、海に浮かぶ島々をゴールデンゲートやベイブリッジが結んでいる。一方のロサンゼルスはとにかく平坦で高大な地形だ。ビーチも半端でなく幅が広く、砂浜の始まりから海まで行くのに一苦労するくらいの規模感だ。

3.気候 (San霧/寒暖差大 vs LA常夏)
サンフランシスコ 全景
サンフランシスコのもう一つの名物が、霧。気温差が昼と夜で激しく、海に囲まれているため、とにかく霧がよく発生する。坂道と霧が、この都市に幻想的な雰囲気を与えていると言っていいだろう。ただ、夜はすごく冷える。バークレーの教授が冗談で、「世界で一番寒い気候は、夏のサンフランシスコだ」と言っていた。カリフォルニアの常夏をイメージして薄着で来た人が夜になって凍えることが多いからだという。この夏のシーズンにおいても、夜は3枚くらい服を着こんで、あったかいフリースを着て町を歩かないと寒くて仕方がない。一方のロサンゼルスは常夏。夜は涼しく過ごしやすいものの、サンフランシスコのように凍えるようなことはない。ヤシの木が広大な土地に立ち並んでいる、そんなイメージである。

ロサンゼルス ハリウッドロサンゼルス ビバリーヒルズロサンゼルス ダウンタウン大柄で大雑把な白人の中には、ロサンゼルスをこよなく愛する人も多いだろう。でも私としては、サンフランシスコの方がこじんまりしてロマンチックで、美しい都市だと思う。「世界一美しい都市」、そう呼ばれるのもわかる気がする。

スタンフォードも、バークレー同様、サンフランシスコから車で1時間以内の距離にある。坂だらけの土地で、住むには最適とは言い難い。でも、近いからひいきしている訳ではないが、本当に独特な雰囲気を持った素敵な都市だと思う。
ロサンゼルス サンタモニカ
オペラ座の怪人「オペラ座の怪人」を観て思ったことをもう一つ。劇中の名曲の一つに、The point of no returnという曲がある。メロディはもちろんのこと、初めて劇を観たときに、この概念にハッとさせられた。

The point of no return ~ここまで来てしまったらもう後戻りできない地点~。クリスティーヌを一流の歌手に育て上げ、彼女をオペラ座の主演に上り詰めさせるために様々な事件や脅迫を仕掛けるオペラ座の怪人。その怪人の愛とは裏腹に、舞台で輝く彼女を観た幼馴染でオペラ座のスポンサーであるラウル子爵に心惹かれてしまうクリスティーナ。激しい怒りと嫉妬から、シャンデリアをオペラ座の公演中に落下させるなど力づくでラウルからクリスティーナを奪おうとする怪人。クリスティーナに仮面の下の醜い素顔を見られてしまいながらも、怪人は彼女を育て上げた秘密の歌の練習場でクリスティーナに力づくでの結婚を迫る。そんな怪人が舞台終盤で歌う曲が、The point of no returnである。

確かに人はここまで来たらもう引き下がれない点というものを感覚的に持っている。私のMBA留学の場合でいえば、TOEFLの勉強が終わり、GMATの勉強を本気で始めたあたりがpoint of no returnであった。ここまで努力したなら止められない。それは周囲へのメンツの問題もあるだろうし、かけた時間と努力とお金を無駄にする悔しさからくるのかもしれない。オペラ座の怪人の場合と異なるが、私がこの概念に接したときに思ったのは、本気で達成したい何かがあるならば、スタートダッシュでpoint of no returnを渡ってしまうことが大切ということ。スポーツ選手がノックアウト宣言、新記録宣言、ホームラン宣言などをするのと似ていて、逃げ場をなくす場面まで自分を持って行ってしまうのだ。そこまで来ると、意外と雑念が消え、これまで「できるか、できないか」のレベルで悩んでいたのが嘘のように、目の前の事象に集中できる状況を作り出せた経験が何度もある。Point of no returnまでスタートダッシュをするためのコツは、「必ず成功する」「誰が何百回あきらめても、自分は絶対にあきらめない」という自己暗示をかけて、とにかく突っ走ること。精神論の領域だ。

Las Vegas 「オペラ座の怪人」 会場外一方で、オペラ座の怪人のように、point of no returnを超えることは合理的な思考を停止させる副作用も持つ。ここまで来たならやめられない。今までの投資は何だったのか。自己否定はできない。ここで引き下がるのはプライドにかかわる問題だ。そんな思いが人を近視眼、盲目にさせる。経営コンサルティングの仕事においても、お客さんの状況として何度か遭遇したことがある。

当然ながら最も賢い方法は、point of no returnの引力をうまく使いながらも、自分が目指す方向自体が間違っている、自分の努力は冷静に見て結実しない、といったことが見えてきたならば潔く方向性を変えることである。私の場合は、負けず嫌いなこともあり、一度決めた道は何度もあきらめずに挑戦する傾向がある。保守的な面もあるそんな私が方向転換をするときは、周到に状況を把握して、自分自身が方向転換するべきだと納得できるまで考え抜いて、一気に方向転換をする。考え抜いて納得したら、これまでの努力など惜しいとは一切思わない。なぜなら、方向転換した方がいい結果が出ると自分が信じているからである。

オペラ座の怪人は、The point of no returnという概念を意識化させてくれた。劇のあらすじと必ずしも同じというわけではないが、このpoint of no returnという引力がわれわれに働いているということを理解した上で、それをうまく利用し、また副作用に注意して物事に当たっていきたいと思う。
Las Vegas 「オペラ座の怪人」チケット旅行先のラスベガスで「オペラ座の怪人」のミュージカルを観た。ラスベガスにはカジノだけではなく、デパートが10棟近くひしめく巨大ショッピングモールや、マジック・サーカス・コメディ・ミュージカル・ダンス・ストリップといった各種のエンターテイメント・ショーも沢山やっている。昨年、ニューヨークのブロードウェイでも同様に「オペラ座の怪人」を観たこともあり、両者の比較ができて興味深かった。

一言で言うと、派手さのラスベガスと、本格派のブロードウェイ。私の好みは後者だ。ただ、まず断わっておきたいのは、ラスベガスのショーのレベルはとても高かった。歌の質、踊りの質、間合い、舞台芸術ともに、やはり本場アメリカのショーだ。ただ、歌の質、踊りの質については、正直ブロードウェイに軍配を上げたい。俳優の名前など全く知らなくて恐縮だが、主役のオペラ座の怪人の歌唱力はブロードウェイが圧倒的だ。ラスベガスが多少荒々しい声のダイナミックな俳優を使ってきたのに対して、ブロードウェイは本格派といった感じで、特にピアニッシモになった際、高音域をやさしく出す際に両者の実力差がすごく出ていた気がする。一方、舞台芸術、派手さは圧倒的にラスベガスに軍配が上がる。劇場の造り、物語の鍵となるシャンデリアの豪華さ、演出の派手さでは圧倒された。劇場内で花火、火炎放射、空中遊泳などを織り交ぜて観客を沸かせてくれた。

Broadway オペラ座の怪人 会場外ブロードウェイは劇場も驚くほどこじんまりしており、役者の吐息が聞こえてくるような緊迫感の中で劇が進行する。実力をごまかせないのはこちらだろう。勝手な推測だが、本当の一流の役者はブロードウェイに。一流だけどそこまででない人たちがラスベガスで派手な演出に支えられて稼いでいるのではないかと感じた。

ただ何度見ても、「オペラ座の怪人」には心を打たれる。音楽の素晴らしさもさることながら、オペラ座の怪人の役を演じている役者の演技力にも毎回関心する。オペラ座の怪人は、圧倒的な力と、怒り、恐怖、憎しみ、優しさ、悲しみ、みじめさといった複雑な要素が渦巻く人物だ。物語の展開に応じて、怒りから悲しみ、優しさから憎しみへと感情が変化していく様を、違和感なく、観客の心をつかみながら身体表現していく難しさは、大学時代に演劇やミュージカルを少しやっていたからすごくわかる。また機会があれば、いろんな芸術にどんどん触れて感性を耕していきたい。
先日、これまでの宿からホテルに引っ越した。キャンパスの宿の契約が2週間しかとれなかったためなのだが、キャンパス外の安いホテルに最後の1週間は泊まることにした。

ホテルの部屋ホテルの部屋は、写真の通り。とてもでないが立派なホテルとは言えないのだが、何を隠そう、私は嬉しくて仕方がなかった。まず窓が複数あるため、通気が良いのでこれまでのように蒸し暑くならない。そして部屋が広く、テレビが付いている。さらには、部屋にトイレとバスが付いており、もう毎回外に出なくていい。それにロビーでWi-Fiが使えるため、これからは共有PCのために並ぶ必要がない。

バストイレの床にヒビが入っていても、窓がきちんと閉まらず隙間風が入ってきたとしても、洗面台の取っ手がさびて壊れていても、全く気にならなかった。日本から直接このホテルに泊まったら不満足だっただろうが、これまでより不便な宿に泊まっていたため、大満足なのである。人の満足って、期待値との差や、現状との変化量によって決まるものなんだなぁと思う。アメリカに来て食生活のレベルの低さに諦めを感じていた際に、偶然見つけたイタリアンレストランでおいしいパンとワイン(ただし日本ではふつうの水準)に出会えたときの喜びといったら大変なものだった。思わず写真を撮ってしまったほどである。

バークレーのイタリアンレストランにてただしもう一つの側面として、人はすぐに慣れる。悪い状況にもなれるし、いい状況にも慣れてしまう。前回の宿も最初数日は多少戸惑ったものの、すぐに心地良い生活となる。同時に今回ホテルに移って最初の1日は嬉しかったが、すぐにその生活が普通のものとなり、特に喜びも感じなくなる。そうやって人は、より少しでも高い生活水準や新しいものを求め、その瞬間にだけ喜びを感じ、やがて慣れていく。尽きることのない旅であり、変化量によって永続的な満足が得られることがないことを知るべきだろう。それよりは自身の期待値をきちんとコントロールし、現状にしっかり満足できる、現状に感謝して過ごせる心構えを作ることの方が、よほど個人の人生の成功に寄与するテクニックのような気がする。

今回ここに来て、相当生活水準を下げることができた。不便な生活に慣れるというか、住居、食生活ともに、お金のない大学生と一緒の水準で生活をしてきた。一度上がった生活水準はなかなか下げられないというが、下げてみれば、少しの期間の違和感ですぐに昔の感覚を取り戻している自分がいることに気づく。今回は意図せずしてそうなったが、いつまでも質素な生活で満足できる、この感覚を大切にしていきたい。(心も財布も潤う??)
カジノ以前、家庭教師のJohnから聞いた話として、「ラスベガスでカジノが許されている理由は、歴史上ギャングがカジノを発展させたこともあり、かつ砂漠の辺境の地にあるので誰も羨まない中、特例的に許されている」と書いた。(@7月1日/アメリカという国)
ところが、つけめんデリックさんからコメントをいただいたように、ワシントン州でもカジノが許されているということで、それでは一体、どんな土地でカジノが許されているのか、共通の理由がないかどうか、Berkeleyの教授(語学の教授。。。)と休み時間に話をしてみた。

結論は「よくわからない」ということだが、推測としては、州としてお金を稼ぐ手段がないところでは、政府も特例としてカジノを認めている傾向がある、とのこと。興味深い。

ネバダ州(ラスベガス)はカジノで儲かっているため州税がないことからもわかるように、カジノは州にとってのドル箱である。また、カジノが許されている地域を見ると、確かに山脈であったり砂漠であったり、カジノ以外にはそれほど強固な産業基盤や資源がない地域が多い気もする。さらに、実際にインディアンの居住地区では、(彼らが食べる手段として)カジノの運営が認められていることが多いとのことである。

アメリカは土地が広い。言い方を変えれば、不幸にも食えない土地では、人間の欲望をコヤシにして食わせているということだろうか。推測としては面白い。
今週末は、そんなラスベガスにサマーの友達と行ってくる予定だ。
3週間のサマーセッションも、いよいよ最終週を迎えることとなった。最終週を前にして、この2週間で感じたことを振り返ってみた。

「素晴らしい人」の水準は、どこの国も同じ

夕食中@Berkeleyのレストランフランス人内、中国人内、他ヨーロッパ内どこを見ても、素晴らしい人がいる。性格の好き嫌いは別にして、コミュニケーションをちゃんと取れる人、他人を尊重できる、TPOを理解できる、知識や教養を持っている人がいて、そのトップレベルの人間の質は、日本人の素晴らしい人の質と、さほど感覚的に異ならない。フランス人の中でも、1人、まだ20歳なのにとても素晴らしい人がいた。知識や教養に優れ、でも陽気で謙虚で、いつも回りを意識できる。中国人でも、2人素晴らしい人を見つけた。責任感が強く思いやりのあるアネゴ肌で、考えもしっかりしているので話をしていてとても安定感がある。ビジネススクールに行くと、もっとたくさんすごい人がいて圧倒されるのかもしれないが、やはりどこの国も、素晴らしい人というのは水準は似たり寄ったりで、海外といえども、人間としてきちんと接していければ問題がないのかな、という感想を持った。そうだとすると、日本できちんと通用するのであれば、世界でも通用するということだ。(もちろん、一部の「とてもかなわない」というすごい人がいるのも、どこでも同じ。)

相手にしてもらえる新鮮な驚き

4人組@Angel Island今回一番うれしかったのは、フランス人にせよ、ドイツ人にせよ、西洋人のコミュニティーの中に唯一の日本人としてしっかり受け入れてもらえたこと。アジア人に対する差別なども多少想定していたので、あまり仲良くしてくれないのではと思ったが、フランス人、ドイツ人、ポルトガル人の集団の中で、Hiroo、Hirooと寄ってきてくれる関係を築けたことは、ひとつの自信になった。私の年齢が多少上だったこともあるのかもしれないが、思いやりと他人の尊重の気持ちを持って、こっちの心をオープンにして接していけば、どこの国の人とも仲良くやっていけるのかな、と思った。(ロシア人はちょっとまだダメだが。。。)これまで仕事でも西洋人のコミュニティーにこれほど深く(プライベートを含めて)入れたことはなかったので、これほど違和感なく、快く受け入れてもらえたことはある種、新鮮な驚きだった。いい経験をさせてもらったら、それを相手に返してあげる。いい組織のいいサイクルである。スタンフォードでも、出会った人はとにかく壁を作らず、こっちから手を大きく広げて受け入れるようにしていきたいと思った。

英語力はまだまだ

Classmate(中国人たくさん)語彙力の不足と、リスニングの強化の必要を感じだ。英語は、努力しないと伸びない。当たり前だが、楽しく話をしているだけだと、しゃべるときは自分の使える語彙しか使わないし、聞くときは多少聞けなくても前後関係で用は済んでしまう。やはり自分で語彙をためていく、DVDを見て耳を鍛えるなどの努力を少しずつでも継続しないと、なんとなく過ごせる英語力にとどまってしまいそうだ。どうせすぐに授業やら交友やらで忙殺されるだろうから、ちゃんと英語力の強化ができる仕掛けを、スタンフォードが始まるまでに考えておこう。

ということで、最後の1週間、ここであった友達と別れるのは今から悲しく名残惜しいが、最後までたくさんのことを吸収できるように頑張っていこう。
リムジン内でのひとコマ@SanFrancisco今回、何かとフランス人と接することが多い。フランス人のなんとなくの特性や、回りのヨーロッパから彼らがどう見られているかなど、なんとなく感覚がついてきた。サンプル10人前後で、ほとんど男性、かつ半分近くが大学生前後なのでかなり偏っているが、個人の経験から得られる外国人感というのは、所詮そんなもんであろう。以下が偏見に満ちた現時点の私のフランス人感である。


(^^) 人生の楽しみ上手 ~異性、音楽、踊り、映画、ファッション、尽きぬ冗談~

冗談でズボンを脱ぐフランス人@SanFranciscoとにかく冗談好き。いろんなことを冗談にして楽しんでいる。盛り上がるネタは、2~3割が異性ネタ、下ネタ。(あるフランス人は、「おれたちの話題は3つしかなくて、sexと,sexと,sexのことしか話さないんだ」、とこれまた冗談を言っていた。)映画や音楽の話がよく出てくるのも印象的。歌をよく歌ってきて、知っているか聞いてくることが多い。そして、踊り好き。一緒にいて楽しいが、たまに歌と踊りを強要されるのはtoo muchなこともあり。

ファッションセンスは、すごくいいと思う。着ている服がおしゃれ。ジーンズ1本にしても、ステッチやラインも凝っているし、色遣いにしても、普通にみなおしゃれな服を着こなしている。パンツは必ず腰で履き、ややアンダーウェアを見せる。ちなみにアンダーウェアはトランクスが圧倒的優勢。天気がいいときは靴は裸足で履く。(ロングパンツのときは靴下が見えないので不明だが)。
ドイツ人のように理屈っぽくなく、感性で人生を楽しんでいるような、とても楽しい人が今回のメンバーには多かった。

(-_-) 他人のことは気にしない

一方、人によるが他人への気遣いがたまにおろそかになる。フランス人以外がたくさんいるのにフランス語で話しまくる、相手にペースを合わせることは少なく、自分たちの楽しい話、自分たちがしたい話を自分たちのペースで進めていく。人が通るところで寝転がったり、エレベーターの中で大声で話し続けたり、急にいなくなったり。。。

(><) ほかの国からはちょっとだけ嫌われ者

フランス人DJ@Partyドイツ人、スペイン人、ポルトガル人、スイス人あたりのほかの友達からは、「フランス人のあの集団とは付き合いにくい」、「フランス人はクレイジーだ」との声も。確かに、ドイツ人やポルトガル人は、ちゃんと会話をしようとする(国の話とか、授業の話とか)ので、冗談で盛り上がって、たまにフランス語だけになってしまうフランス人集団とはかみ合っていない印象だ。なのでなんとなくフランス人を中心とした集団と、それ以外のヨーロッパ集団にグループが分かれてきてしまっている。ちなみに私はフランス人集団に紛れ込んでいる。本来、ちゃんと会話をしたいタイプなのだが、クラスの親しい友達がフランス人ということもあり、フランス人グループと仲良くしている次第である。住めば都ではないが、フランス人と一緒にいるのは楽しいし、ちゃんと話を振れば、みんなきちんと答えてくれるので私は特にフランス人への否定的な印象は持っていない。

ほかの国の中で、印象がいいのはポルトガル人。4人しかいないが、彼らは総じて落ち着いていて、相手をきちんと尊重して会話をしてくれる。かつ、柔和で会話をしていて安心感がある。ドイツ人は、2人しか会っておらず、1人は軍隊リーダー系、もう1人は柔和な顔をしているが裏は単なるエロオヤジなのであまりにサンプルがバラついていてよくわからない。ただ2人とも話し方、考え方は論理的でカチッとしている。ロシア人は4,5人あったが、すごくガタイがよかったり、ウォッカの飲み比べを強要してきたり(本当に強い)で、正直怖い印象しかない。あまり仲良くなれていない。そして中国人は、もうひとつの大きなグループ(というよりマジョリティー)を占めているが、女性しか知らないのでなんとも言えないが、総じて勤勉、謙虚でいい印象を持っている。

最後にちょっと脱線したが、以上が現時点の私のフランス人感である。
今週末は、米国クラブ初体験以外に、生活のセットアップと日本人飲みがあった。

生活のセットアップとしては、当座預金をCiti Bankに開設! ちょうど私を担当をしてくれたローテラーのカッコイイお兄さんが、偶然私と同じ誕生日で年も近かったので、お互い何となく仲良くなれそうな雰囲気を共有して帰ってきた。こっちのチェックとか預金の仕組みとかはまだよく分かっていないなので、日本のからの送金などわからないことがあったら彼に聞けるようにしておこう。そして、携帯電話を購入! 実はずっとiPhoneにしようと思っていたのだが、使っている人に聞いたところ電池の持ちがすごく悪いというので、499ドルを払ってまで欲しくなくなり、急遽オーソドックスにMotorolaのRazrを60ドルで購入。ちなみにこっちでは既にiPhoneは欲しければいつでも手に入る状態で、発売当初の行列はもう昔のものとなっている模様。

Motorola cell phoen図書館に併設しているカフェで新しい携帯電話をいじりつつホットチョコレートをいただき、夕方の日本人飲みまで宿題をやって時間を過ごす。こっちではこうやってオープンカフェで何かを食べていると、すぐにリスが寄ってくる。これが侮るとたいへん。東京のカラスやハトのようなもので、知らずに餌でも投げて与えるものなら、テーブルの上に乗ってきて図々しく人間が食べている大元の食べ物を狙いに来る。Berkeleyに来て4日目に同じ失敗を一度したので、今回はすぐに怖い顔をして追い返しておいた。Caffee

日本人飲みは、もともと私の会社の先輩でHaas(UC Berkeleyのビジネススクール)に行っていた先輩と2人で飲もうと言っていた話が大きくなって、現地の日本人を集めようということになったのだが、急遽企画した割には10数人の日本人が参加してくれた。今年のHaasの進学者は8名いる模様で、UCLAも5,6名いる模様。私の行くStanfordだけが3名と少ない模様だが、西海岸全体が少ないのかと思いきや、他校は例年通りの人数がいる模様で、西海岸全体では予想よりも日本人がいるみたいだ。心強い。

日本人飲みHaasの人以外にも、政治学のコースや他大学のMBAに行く人、その奥様などが参加し、久しぶりにビールを飲みながら日本語で会話を満喫した。みな、いろいろと宿題が出ていて大変とのことで10時過ぎに解散をしたが、とても楽しい時間を過ごせた。これから2年間Berkeleyの人とはいろいろと交流があるかと思うので(Stanfordと車で1時間半くらいの距離)、是非ともよろしくお願いします~。
こっちに来てから初の週末。皆でSan Franciscoに繰り出すことにした。ショッピング?観光?いや、クラブで踊り明かそう! いきなりそんな提案をしてきたのは最年少(高校生)のルクセンブルク人。アメリカでは21歳以下はクラブに入れないので、一生懸命アンダーエージOKのクラブを探し、さっそく出発することにした。

土曜の午後に集合してみて驚いたのは、みんなとびきりのお洒落をしてきたこと。聞くと、クラブだからというより、都会に行く時はキャンパスのように地面に座ったりすることもないし、きれいな格好をしてくるらしい。私は一人、普段通りの格好をしていたのだが、まぁそれほど違和感もないのでいいとするか。

サンフランシスコにつき、一通りぶらぶらして夕食を済ませると、さっそくタクシーに分乗してお目当てのクラブへ。行ってみると、ものすごくさびれた通りにあり、タクシーの運転手すらクラブの名前を聞いたことがない小さなクラブだった。入口でIDを見せ、21歳以上だと証明するハンコを手に押してもらい、これで、クラブ内で自由にお酒が買えるという。クロークがあったのだが、こういうクラブではクロークは信用できないということで何も預けずに、多少大きな荷物を持っていたがそのまま持ち込み、いざクラブタイム!

club night 2小さなクラブだと思っていたが、中に入ると人の熱気、熱気、熱気! 雰囲気は渋谷や六本木の日本のクラブとさほど変わらないが、カップルで来て二人で踊っている人が非常に多いのが最初に気づいた違い。カップルが、たいてい壁際などで直視できないような踊り(?)を繰り広げている。club night 1club night 3クラブにはドイツ人、スイス人、スペイン人、ポルトガル人など10数人で一緒に行ったのだが、やはり強いのはフランス人。彼らは率先して壇上で踊り狂っていた。やっぱりラテン系なんだなーと感心。高校生の彼女もクラブを満喫した模様で大満足。結局、明け方の3時まで盛り上がっていた。

日本のクラブとの違いは、2時、3時になると、結構人がいなくなってくること。日本の場合は電車がなくなってしまうので、2時、3時くらいが盛り上がりのクライマックスになるが、こっちは皆車で来ているので、2時、3時でそそくさと帰ってしまう人が多い。club night 4帰る際には予想通り、大音量でカーステレオを周囲に響かせ、猛スピードでタイヤのスリップ音を響かせながら駐車場を飛び出していく。人種差別をするつもりは全くないが、やはりこういうところにいる黒人の人はちょっと怖くて近寄りがたい。今回のクラブでも、スペイン人の一人が上着を踊っている最中に落としてしまい、帰り際に黒人の知らない人がその上着を肩から掛けている(落ちていたから自分のものにした模様)のを発見したのだが、グループで駐車場で騒いでいてあまりに人相が悪そうだったので、そのスペイン人も泣く泣く声をかけずに帰った。

ユニオンスクエアクラブが終わったあとは、再び中心街の中央にあるユニオンスクエアに集まり、お酒を買ってみんなで乾杯。ところがその最中に数人の警官が駆け寄り、公共の場でのお酒はダメだとお酒を没収されてしまう。みな海外から来ていたので本当に知らなかったのだが、知らなかったと説明し、なんとか許してもらった。

club night 5アメリカの警察官は、怖い。ガタイがいいうえに、無表情で、強硬に命令をしてくる。断ったら本当に殺されるのではないかという雰囲気でやってきたので、ちょっと肝を冷やした。アメリカのコップの初体験までしてしまった。(これは最年長としてはちょっと反省。。。)
そんなこんなで、初の週末はサンフランシスコのクラブで踊りを満喫したのでした。来週は皆で車を借りてLAにでも長距離ドライブに行こうかと話をしている。平日は結構授業と宿題が大変なので、こうやって土日に思いっきり羽を伸ばすのはメリハリがあって気持ちいいものだ。
サマースクールが開始してから3日が経過した。本来はStanfordの事前課題や、生活のセットアップをいろいろと進めないといけないのだが、毎晩クラスメートと外に繰り出して楽しく日々を過ごしてしまっている。最初はその方が自分としてもまわりに馴染めるのでいいかと。

一番の驚きは、クラスの8割が中国人で、残りの2割がフランス人だったこと。日本人は私一人で、中国人は北京大学の語学専攻の人たちが大挙してやってきており、半ばサマースクールは中国人に制圧されたような状況になっている(笑)。あとは、フランス人(+ルクセンブルク人)。私以外は中国人とフランス人しかなかったことが一番の衝撃だった。

ほかのクラスにはポルトガル人、ドイツ人などもパラパラいる模様だが、いずれにせよ中国人以外がマイノリティーとして集まるような構造になっていて、ちょっと面白い。

中国人は、しかし予想よりも決して自己中心的ではなく、アグレッシブでもなく、とてもいい人が多い印象だ。ある中国人から聞いたら、大学から日本人がいたら優しく接するようにと言われていたみたいだが、いずれにせよ、人間としても比較的ちゃんとした人が多いように感じる。日本のオフィスのまわりでよく見かけたお行儀の悪い観光客の中国人とは、ちょっと質が違う(北京大学だから?)気がした。

Summer sessions’ membersさて、そんな訳で、毎日フランス人と一緒にぶらつく日々を送っている。この写真がいつも一緒にいるクラスメートの写真である。女性の一人がルクセンブルク人(ほぼフランス語を皆話すのでフランスのようなもの??)だが、あとはフランス人。彼らはたまに気づくとフランス語で話始めるので、そのたびに英語で割って入って英語に戻さないといけないのが面倒だが、根はみんな素直で、別段アジア人だからといった差別もいまのところ全く感じられず、むしろ積極的にいろんなことを聞きたがるフレンドリーな人たちに恵まれたようだ。

部屋掃除1もう一つの驚きは、彼らの住んでいるアパートの汚さ。フランス人の男2人は大学生なので、お金がないので非常に安いアパートをシェアして住んでいるのだが、彼らの部屋の掃除を皆で手伝いにいった。これが本当にひどかった。壁のいたるところに落書きや絵が書いてあり、電球は壊れクモの巣が張り、昔の東大の駒場寮のようなイメージだ。1か月を500ドルで借りているという。Berkeleyにしては破格だが、ここには死んでも住みたくない。部屋掃除2部屋掃除3


部屋掃除4写真は皆で2時間くらい必至に掃除をしてようやくたどり着いた姿。彼らが初めて部屋に入ったときは、腐った牛乳が放置されていたり、植物が外から入ってきていたり、くさくてはいれなかったという。ベッドにも不可解な染みがたくさんあり、段ボールを上に敷いて寝たという。2人ではとても片付けきれないというので、皆で新しいベッドシーツや枕カバー、消臭剤や掃除道具を町で買い込んで、徹底してきれいにしてあげた。


さて、驚いたことをさらに2つほど。1つ目は、こっちは夜の9時前までまだ明るいことだ。なので、明るいうちからビールを飲み始める。ただし次の日までにやるべき宿題も結構出るので、9時前後に分かれてそれぞれの家路に明るいうちに着くといった感じだ。日本では夏でも7時半くらいには暗くなってしまうので、とても新鮮な印象だが。飲み22つ目は、フランス人の喫煙率の高さ。今回のフランス人メンバー(ほかのクラスを含めて)は1人を除いて全員がたばこを吸う。聞いてみると、喫煙率は約半分だという。アメリカや日本のように、それほど喫煙に対して社会が厳しく対応していないからだという。ただ、サルコジ大統領になってからは、喫煙や飲酒運転に対しても、アメリカや日本と同様、厳しい方向に法改正がされる予定とのこと。おまけにもう一つ書くと、フランス人はゴルゴ13のようなダンディーな大きめのサングラスを好むらしい。女性人は普通のサングラスをかけているが、男性は全員が同じようなゴルゴちっくなサングラスをかけている。ちょっと古めかしい感じがするかと思うと、彼らがかけるとこれがかっこいい。しかし私がかけると、ちょっと型崩れのようになってしまう。何かが違うらしい(涙)。飲み1飲み3
といった感じで、最初の3日間が過ぎた。週末には皆でサンフランシスコに繰り出そうと話をしている。まさか自分がフランス人の集団の中に一人だけ混ざりこむとは思わなかったが、これも何かの縁。大学では第二外国語はドイツ語だったのだが、いくつかフランス語でも覚えて帰ろうか。 
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