Stanford MBA 心の旅路

Stanford大学でのMBA(Stanford GSB)留学に奮闘する、外資系経営コンサルティング・ファーム勤務の若者の心の日記blog。 コンサルティングの仕事、MBA受験からスタンフォードGSB合格、スタンフォードMBA生活、帰国にいたるまで。

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儀式にてしばらくblogをアップしておりませんでしたが、昨年12月に、Stanford MBAのクラスメートであったインド人の女性と結婚しました。インドでの3日間の結婚式及び東京での式・パーティーにご参加いただいた皆様、ありがとうございました!

帰国直後の投稿に書いた「スタンフォードでの2年間で得たもの」については、帰国後約2年間がたった現在も、当時と同じ感覚を持っております。その影響は帰国後も色あせることがないどころか拡大し、遂にはプライベートで新興国へのグローバル展開をするに至ってしまいました。(留学前は、まさかインド人と結婚することになるなんて想像もできませんでした。「2年間で得たもの」に、「人生の伴侶」と付け加えさせてください(笑)。)改めて、スタンフォードMBAへの留学経験が私の人生をものすごく大きく変える契機になったのだなぁと実感させられます。またこの結婚を実現されるまでの道のりでは、本当に多くの方々のサポートがあり、今は感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました。

儀式にてさて、現在、彼女はニューヨークに勤務しており、東京の私とは別居状態ですが、今後なるべく近いうちに、まずは東京にて新しい生活をスタートさせたいと思っております。その際には、今後とも妻ともどもよろしくお願いいたします!
(その後、アジアを中心に各地を動き回ることはあるかもしれませんが、まず最低数年間は東京で暮らしたいと思っております)
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お庭で食事冬休みにデリを再訪し、クラスメートの自宅にしばらく泊まらせてもらった。クラスメートの父親は政府高官のため、自宅はデリの一等地に立つ。日本と違うのは、土地の一等地を政府関係の施設や豪華な住宅が占めているということだ。日本でそんなことをしたら、税金泥棒とメディアからバッシングされてしまうだろう。政府の「統制力」は必ずしも強くない模様が、汚職や腐敗を含め、インドで政府に務める「メリット」を感じさせられた。

さて、今回の滞在では、昨年の冬に体験した「混沌とカオスのインド」とはまた違ったインドの側面を見せてもらえた。つまり、使用人がいるという面では、インドは過ごしやすい、という点だ。クラスメートの家には、シェフが1人、お手伝いさんが3人、ドライバーが家族それぞれに1人ずついる。シェフとお手伝いさんはクラスメートが生まれたころから住み込みでいて、シェフの男性とお手伝いさんの女性がやがて結婚し、今では子供がお手伝いさんになっている。まさしく家族ともども世代ごと、クラスメートの家に尽くしているという形だ。

お手伝いさんのいる便利さ
お手伝いさんたちとこの生活がまた非常に便利である。何かがほしい時は、ベッドからお手伝いさんの名前を叫ぶだけ。食事はほしい時に、ほしいものを、ほしい場所で(ベッド、庭、ダイニングテーブル等)いただける。庭でごはんが食べたいと言えば、お庭にきれいにテーブルと椅子がセットされ、やがてアツアツの食事が運ばれてくる。それからマッサージを専門にしてくれるお手伝いさんまで、パートタイムでやってきてくれる。ドライバーも非常に便利で、行きたいところを告げ、降りたいところで降りれば、あとは勝手にドライバーさんが駐車場を探して駐車、また電話一本ですぐに迎えに来てくれる。これなら自動車事情がカオスのインドでも、比較的気にせずに生活を送れる。掃除もせず、洗濯もせず、食事も作らず、運転もせず、まさしく、無駄のない生活というか、自分の時間を最大限生産的なものにつぎ込める環境というか、日本では考えられない生活である。多くの家庭ではお手伝いさんを変えることもよくあるというが、クラスメートの家では、親の世代からお手伝いさん一家と付き合いが続いている模様で、クラスメートいわく、シェフやお手伝いさんの女性は、自分の両親にも近い、まさしく自分を育て上げてくれた家族の一部だと言っていた。この環境で生まれ育ち、いきなり自分ですべてをしなくてはいけないアメリカに来る苦労度合はさぞ大きなことだろう。

英語の影響力
クラスメートの結婚式さて、インドは多くの家庭(特に地方)がいまだ非常に保守的な考えを持っているが、都心や若者は急激に欧米的な考え方を持つようになってきているという。その変化度合は日本よりも激しいらしく、どうやらテレビや映画の影響が大きい模様。
インド人のほとんどが英語を話せるため、欧米のテレビがそのまま見られてしまうのだ。若いころからアメリカのテレビや映画などを見て育ち、欧米の自由な恋愛感覚やライフスタイル、ファッションスタイルや肌の露出などに慣れて育った若者は、急激に伝統的なインド文化から離れ、欧米的な考えをし、欧米に憧れるようになっているという。政治家の家に育った保守的なクラスメートはその様子を嘆いていたが、日本と違って言語の壁がないため、非常に強く欧米化の波が若者に押し寄せている模様だ。インドのハリウッドであるボリウッドの映画を見ても、男女の恋愛シーンや露出度の高いダンスシーンが非常に多く、また舞台がアメリカやヨーロッパであることも多い(それでも依然キスシーンは見せないなど、保守的な側面は強いが)。

街は汚く、人にあふれかえりカオス状態のインドではあるが、上流階級の暮らしは思ったよりも快適であることを知った今回の旅行でした。
厳しい警備冬休みには、インドにも再び行ってきた。テロの直後ということで緊迫して雰囲気であったが、そんな中、パキスタンとの紛争の最前線であるカシミール地方に足を運んできた。知り合いの父親が政府高官でカシミール地方に滞在しているということで、その機を利用させてもらい、空港からは防弾の警察車で移動、警備には複数の武装兵が付くという、非常に緊迫した、しかし得難い経験をさせてもらった。

カシミール地方の西部は、パキスタンに実効支配をされている。我々が訪れたのは、その中でもインドが依然支配できているカシミールの州都Srinagarとその周辺。人口の99%はイスラム教徒で、過去にはヒンズー教徒が住んでいたが、パキスタンから資金が流入し、また圧力がかかる中で、カシミール地方のヒンズー教徒は虐殺や略奪にあい、結局町を去ることになったという。しかし元はインド領ということで、独立運動の抑制、治安の維持を目的とし、中央政府から派遣されたごく僅かのヒンズー教インド人が滞在をしている状況である。彼らは町でもヒンズー教徒と気づかれないように、外を歩く必要がある。町には夕方になるとイスラムのお祈りが響き渡り、モスクが立ち並ぶその様子は、インドとは思えない、まさしくイスラム国の風景であった。

カシミア地方の人々イスラムがヒンズー教徒を追い出してからは、町の発展が完全に止まってしまったという。昔はその美しい自然と独特の文化(木の彫り物、紙細工、カシミア、織物など、本当に素晴らしい工芸品が沢山この地域にはある)で、インドからの新婚旅行の行先ナンバーワンだった模様であるが、治安が悪化し、紛争が起こってからは店も軒を閉じ、多くの産業が衰退した。職にあぶれた若者は、給料がもらえるという理由でパキスタンから流入した資金によって独立運動の武装組織に雇われたりすることも多いという。

最初はショックを受けた町の物々しさだが、2日もいると慣れてしまうもの。また日中から停電が頻繁に起き、テレビの電波もしょっちゅう途切れたり、シャワーのお湯が出なかったり(カシミア地方の冬は極寒)と、その生活の不便さには多少苦労したが、これも2日もいれば慣れてしまう。

厳しい警備新年は、カシミア地方の山岳地帯、グルマールの山小屋ホテルにて過ごした。そこでは宿泊客(軍の高官やインドの中央政府高官とその家族など。外は数十台の軍用車に軍隊で万全の警備)による50名程度のささやかなカウントダウンパーティーが行われ、また前年インドのゴアで派手に過ごした年末とはまた違った素敵な年越しをさせてもらった。軍の高官が写真を撮らせようと外で警備をしている兵隊を室内に呼び、完全武装のライフルを片手に持った兵隊数名が平和なパーティー会場にゴソゴソと入ってきて必至でデジタルカメラを撮っている姿は、これまた不思議なものがあった。

芸術的なハウスボートそれにしても、この地域の工芸品は本当に豊かである。昔から、冬は寒くてあまり外に出られないので、多くの女性が家にこもって織物(カシミアを含む)や彫り物、紙細工などに精を出したという。平和なときは、それらを夏に都市に持ち出して売りさばくことで家計を保っていたとのこと。写真は船そのものが手彫りの美しい彫刻で飾られ、カーテンはすべてカシミアなどの手織物、家具や小さな道具まですべてこの地域の伝統工芸から作られているという素晴らしいハウスボートで食事をした際の写真。1隻の構築に8年以上かかり、1隻の値段は1億円くらいかかるという。インドの通貨に直すと、正しく本当の高級船である。料理はすべてカシミア地方の料理で、これはこれでおいしかったが、何より船自体が芸術そのものと言えるほどの美しい船であった。

ヒマラヤをバックにそして最後に、この地域は自然が本当に美しい。ヒマラヤの大山脈の盆地に位置するSrinagarは、回りを見渡せば早大なヒマラヤが連なり、町の中にはうねり狂う大きな河が流れ、やがて大きな湖であるダル湖へと注いでいる。特に、グルマール地方の真っ暗な冬の夜中に見た満点の星空は、これまでに見たどのような星空に比べても圧倒的に印象に残る夜空であった。

クラスメートの父親の官邸知り合いの父親の家は丘の上に建っていた。首相官邸のような形で、執事棟と、家族や本人が済む住居棟が分かれて建っている。敷地は厚い壁と、ライフルをもった兵隊によって警備され、その敷地より高いあらゆる地点(山の上も含む)の主要部には、警察の警備隊が配備され、高台から敷地を狙えないように守っている。地域では毎日のようにどこかで大小の紛争があり、人が死んでいるという。家族から聞いた過去の様々なイスラムとの衝突の様子や、彼らのパキスタンに対する複雑な感情などを聞くにつれ、改めて、日本で平和な日常を送れることに対する感謝の気持ちを抱かずにはいられなかった。
インド旅行についてもう一つ。タージマハルは、やはり素晴らしかった。その規模といい、美しさといい。デリからバスで数時間走ったアグラという街にタージマハルはある。我々は4時間以上、日没まで彩を変えていくタージマハルに魅入っていた。

昼のタージマハルこちらが昼のタージマハル。白が美しく映えている。そして日が傾くと、タージマハルは次第にオレンジ色に変わり、影が美しく立体感を与えてくれる。そして日没。噴水がなくなり池が静かに波紋を消すと、重い青に変わったタージマハルの美しい姿を噴水湖の中にも見ることができる。4時間以上いても、見飽きない壮大な姿である。

さて、外側から見た美しさはいろんなテレビ番組や写真で目にしてきたが、それ以外の点で、行って経験した面白かった点を4点ほど挙げたい。



夕方のタージマハル日没のタージマハル
1.内側は意外とこじんまり。
外側の壮大さに比べ、内側は比較的小さく、中にはシンプルで小さな棺の模型が飾られているのみである。中に入るまでには靴を抜いてタージマハルに上がり、長い列を待って入らないといけないのだが、外側の感動に比べると内側は意外にシンプルであった。

2.タージマハルは、足の匂い。
美しい壮大な外観と打って変わって、タージマハルに近づくと、タージマハルは足の匂いがする。そう。皆が靴を脱いでタージマハルに上がっているうえ、タージマハルの上は非常に人口密度が高いので、皆の足の匂いが全体を覆っているのだ。次第に慣れたが、これは厳しい。

3.インドらしい騒乱が発生。
タージマハルの内側を見るために非常に長い列ができており、インド人、外国人を含めて並んで順番を待っていたかと思うと、信じられないハプニングが発生。何をきっかけにしてか、急にあるインド人が列を無視して入口に群がり、勝手に入り出したのだ。その途端、さすがインド、モラルが一気に崩壊し、数百人の群衆がとっさに入口に向かって殺到し始めたのだ。長い列を待つより、力づくで入口に入っちまえ!ということで、群衆は入口に殺到し、騒乱状態に。我々も相当最後列の方に並んでいたため、この機に乗じない手はないと猛ダッシュで入口に殺到。もはやルールも何もない、正月の福袋争奪戦状態である。我々特攻隊は群衆にもまれ分断されたが、第一陣がなんとか大人2人がなんとか通れる規模のタージマハルの入口を突破したあたりで、軍の警備隊が入口を緊急封鎖。笛が激しく吹かれ、入口を閉ざされた群衆は次第に正常に戻り、事態は収拾したのであった。こんな騒乱も、日本では考えられない。誰かが倒れたらドミノ倒しで死人も出るだろう状況であったが、インドらしい騒乱である。
騒乱(殺到する人々)騒乱(殺到する人々)騒乱(殺到する人々)騒乱(強行に入ってくる人々)騒乱(扉を閉める軍の警備員)
第一陣として群衆を振りきりタージマハルに異常な早さで潜入した私たち4人は、静かな墓標の前にいることに気づく。中は打って変わって静かであった。しかし入口からドバドバと中の神聖な雰囲気に似つかわしくない形相をした群衆が波を打って入ってくるので、ひとまず端っこに群衆をよけるために避難した。すると、そこに一人のおじさんがたたずんでいた。クラスメートの一人が、群衆に踏まれて脱げた靴下を直していると、急におじさんが語り始めた。タージマハルの中をぼそぼそと解説し始めたのだ。どうやら解説者らしい。相当ラッキー。

騒乱が終わってほっとするメンバーこのおじさんが相当強力だった。ペンライトで暗い中を照らし、壁の模様について解説してくれたり、遠近法の逆をとって上の方ほど模様が大きくなっているから、下から見ても大きさが変わらないようになっているとか、いろいろと興味深いことを教えてくれる。しかも、笛をガンガン吹いては群衆を蹴散らし、われわれを最高のポジションに案内して解説をしてくれるのだ。撮影禁止と聞いていた墓標すら、群衆を蹴散らしてベストポジションに案内してくれた挙句、内緒でとっていいよ、との嬉しいコメント。なんと偶然の嬉しい出会い。ラッキー、と思いつつ、一通り案内を終えると、おじさん、ぼそっと「1人200ルピー(5ドル)ね。」。絶句する先陣隊の4人。。。。200ルピーは、インドでは破格の高さである。しかも1人あたり。。。あまりの急展開に、値切ることもできず、4人はしぶしぶ200ルピーを渡してしまった。おじさんの勝利。

4.排気ガスのひどさ。
遠目から見たタージマハル最後は、排気ガス。とにかくインドは空気が悪い。自動車のガスだ。さらに外では暖を取るために貧しい人が紙や木をどんどん燃やしている。そのため、本当に空気がくもっている。この排気ガスのせいで、夕日がきれいにタージマハルに届かず、美しさを半減させている。遠めからタージマハルを見ようとしても、曇っていてきれいに見えない。ほかの寺院に行った際も常に空気の汚さが美しさを大なしにしていると感じる。町中では、スカーフを口に巻いて通学する学生を目にする。本当に、人間の活動って環境に影響を与えるのだな、と強く感じてしまった。

排気ガスを配慮して、デリで走っているバス、トゥクトゥク(リキシャー)は、すべて天然ガスで走っている。このまま人口が増え、自動車保有者がどんどん増えていくことを想像すると、このままでは環境への影響は計り知れないだろう。空気の汚さ、それが美しい寺院を見るときにいつも感じる残念な点だ。
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