
帰国直後の投稿に書いた「スタンフォードでの2年間で得たもの」については、帰国後約2年間がたった現在も、当時と全く同じ感覚です。むしろ留学の影響は帰国後も色あせることがないどころか拡大し、遂にはプライベートで新興国へのグローバル展開をするに至ってしまいました。留学前は、まさかインド人と結婚することになるなんて想像もできませんでした。「2年間で得たもの」に、「人生の伴侶」と付け加えさせてください笑。改めて、スタンフォードMBAへの留学経験が私の価値観・人生をものすごく大きく変える契機になったのだなぁと実感させられます。またこの結婚を実現されるまでの道のりでは、本当に多くの方々のサポートがあり、今は感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました。

(その後、世界各地を動き回ることもあるかもしれませんが、まず最低数年間は東京で暮らしたいと思っております)
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そう。ついに、終わりを迎えた。そして、本当に、本当に素晴らしい2年間だった。
これほど私の価値観を大きく変えてくれる経験はなかなかできないと思う。思いっきり勉強し、思いっきり遊び、思いっきり旅行し、思いっきり考える。それをあの青いスタンフォードの空の下でできる特権というのは、言葉では語りつくせない幸福である。自分は、本当に幸せ者だと思う。
では、私自身、この2年間で何を得たのか。実際に何が変わったのかは、だんだんとこちらで生活をするうちに見えてくるものもあるだろうが、現時点での感覚を、なるべく頭脳のスクリーニングを通さずに吐き出しておきたい。ここに並んでいるものが、とりあえずこの瞬間における、超等身大の「MBA留学の成果」といったものだと思っていただければいいと思う。あまり深く考えずに、思いつくままに羅列してみよう。
世界中にできたたくさんの友達:

視野の広さ:
世界のトップタレントの質と自分の強み・弱みの理解。ある意味、自分が勝負できる部分、できない部分がわかって、逆に自信になった。MBAは特殊な社会なので、世界がわかったというにはほど遠いが、世界のエリート界で何が起こっているかの手触り感のある感覚と、それに対する自分の意見・スタンス。
価値観の広がり:
多様な価値観の存在への気付き。自分が染まっている価値観・パラダイムの再発見、自分が抑制していたけど実は持っていた価値観・性格の再認識。「あ、自分自身のままでいていいんだ」、という感覚。
心の安定:
ある程度の自分に対する自信、そこそこなら将来どこでも食っていけるし、最悪最後は自分で何かをすればいいやというある種の開き直り。
エネルギー、やる気:
単純に、エネルギーを再充電。新しいことをいろいろと吸収し、新しいエネルギーとやる気に満ちた心身の状況。
世界中を旅した経験:

英語力:

ファイナンス系の知識:

ソフトスキルに関する知識・経験:
対人関係、ネゴシエーション、リーダーシップ、社内政治等々、いろんなソフトトピックに関する体系的な知識と、演習や実生活におけるさまざまな経験。知識でとりあえず武装できてはいるという感覚、等。
アントレプレナーに対する理解:
シリコンバレーのアントレプレナーに関する理解と実体験。その魅力、素晴らしさや、コンサルタントとの違い、日本との環境の違いに関する理解、等。
沢山の思い出:

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さて、2年間の振り返りについてはあまり考えをまとめずに、とにかく羅列を試みたのだが、この方が逆に、等身大のこの2年間の感覚が伝わるかと思う。中でも、前半に書いたネットワーク・価値観の広がり&変化といったあたりが言葉で書くとシンプルだけど、自分としてはあとあとまで人生へのインパクトは大きいかもしれない。ただ、ここに書いたすべてが複合して、自分自身の考え方や行動を今後変えていくような経験になったのだと思う。

今後とも、少しでも、世界のため、そして日本のために、ここで得た貴重な経験をもとに、またこれまで私の短い人生で経験させてもらったさまざまなことをもとにして、自分が何かをしていかなければと想う日々である。
2年間、本当にありがとうございました。

さて、そんな年齢でもない我々は、とはいえあまり遠方に行きすぎず、この2年間をゆっくり振り返って語る時間がほしいと、メキシコ行きを決定。カンクーンで1週間ほどのんびりしながら周辺を観光し、その後メキシコシティにて学校のスタディトリップの合流するという予定で時間を過ごしてきた。

実はこの時期、メキシコはインフルエンザ騒ぎと、政府と麻薬団体の衝突等で治安も悪化中。そのためあまり動かずに、いろんな観光もキャンセルしたのだが、結果としてはのんびりできてよかったと思う。


それにしても、リゾートはやっぱりいい。初めて味をしめてしまった。私もだんだんと年を取ってきたということだろうか悲。

こちらに来て、改めていろんな国のいろんな人が様々な食事制限を持っていることに驚きを感じたのを覚えている。昨年冬のJapan Tripでも、一緒にTripをオーガナイズしたリーダーシップメンバーが、メンバーの食事制限に合わせ、「この人は野菜しかダメ」「この人はミルクもダメ」「この人は魚のだしならOK」等々、旅館やホテル、レストランの人と一生懸命会話をしていたのを思い出す。日本ではこのような食事制限、ベジタリアンなどに対する理解が他の国に比べるとまだ低いため、彼も相当その手配に苦労していた模様だ。

私はクラスメートなどとベジタリアンの議論になると、「日本人の私としては、人間は自然によって生かされているものだと思うし、肉や魚を頂戴して生きていくのは、ありのままの人間の姿だと思う。むしろ、そうだからこそ、いただいた命を大切に、残さず、感謝していただく方が大切だと思う」というように答えるようにしている。もちろん、家庭の食卓から隠された部分であるが、食べられるためだけに生まれて工場で「大量生産」される家畜の現状にも、もちろん無知ではいられない。ただ、動物がかわいそうだとベジタリアンになる前に、大量に注文して残飯は罪悪感もなくゴミ箱に捨てるような大量消費の考え方自体にも問題がある気がする。